なんか一般書のような装丁とタイトル。それでいてトップアスリートに伝授ってことは、なんかウェブマガジンのタイトルみたいで、嘘くさいなぁ。
と思いながらも手に取ってみたら、著者に小田伸午さんが入ってる。今まで小田さんなら本なら何冊か読んでいて、外したことがない。パラパラとめくってみたら、写真やイラストが豊富に入っていて、これは画期的に分かりやすそうだとの印象。
読み終わってみると、やはり画期的に分かりやすい。稽古のときにも、結構この本の内容から引用してしゃべってる。目新しいことはそれほどないけれども、具対的で、かなり根拠が書いてあるから、説明することの解像度が上がる。と私は思っています。
【怪(あやしい)しい我(われ)が怪我をする】
怪しい我が怪我をするとのタイトルの、まえがきから引用します。
大学でスポーツ科学の研究を始めて30年になります
「スポーツ科学」とは、ある優秀な選手の動きを外から観察し、それを分析した結果を情報として公園する学問です。
コーチや指導者の人たちも選手の動きを外から見て指摘する点では同じです。
しかし、スポーツ選手が実際に体を動かすときに感じるイメージ、動いたときに脳に返ってくる情報は、外から見た情報ではなく自分自身の内的な感覚です。私はこれを「主観と客観のずれ」と呼んでいます。
(中略)
怪我とパフォーマンスを上げる動作とは表裏一体だと思うようになってきたのです。
「主観と客観のずれ」は本当にすごくて、私も精晟会渋谷の稽古ではかなり自分の動きを撮影してもらっていますが、映像を見て愕然とすることがよくあります。説明していること、自分でこう動いたと感じていることが一致してないどころじゃないじゃんと(笑)
動画で撮影しないと分かりません。特に細部、精度を高めるということでは、映像に勝るものはなさそうです。
怪我ということに関しては、合気道の場合、自分自身が単独で起こすことは、まあありません。あるとすれば、主観と客観のずれというより、力み、それこそ怪しい我という状態でしょう。
さらに引用します。
私には一つの仮説があります。
人間は、分析の結果として得た理想の動作を意識することによって、逆に動作は現想形から遠さかるという仮説です。たいていの人がある動作がうまくいかないときには、どのような欠点があるのかを考え、その欠点が理想形になるように意識して動きを作ろうとするでしょう。これは、問題のある部位に直接意識を置く修正方法です。しかし、これによって動作は理想形から遠ざかってしまうのです。
例えば、野球の投手で投球腕の肘が下がっているとします。そのことに気がついたコーチが肘を挙げるように指示をしたので、投手はそれを意識して投げるように 移のます。封が下がる欠点が修正されたと満足した投手は、その後も討の位置をな とか挙げようという思いを強くして練習を繰り返します。その結果として肘の位置だけが挙がったとしても、 肘や肩にカみが入っていたことに気がつきません。
まったく同感です。私の考えは、この2本に書いている通りです。
自分自身が修正するときにも、そして人に指導するときにも、ピンポイントでどこかだけを意識させるような説明は、できるだけ避けるべきです。
合気道の場合は、自然な動きであることが大原則。あくまで無理のない自然な動きの中で、修正することが必要です。いや、逆ですね。自然じゃないから、肘なら肘の位置を自然な理に適っている位置に修正するのです。
ただ一方で、ピンポイントで「根拠のあるなぜ」を明確にして認識しておかないと、個人的な体感に騙され続けることにもなりかねません。体感によるものだけで説明していたら、怪しい我どころか怪しい集団になってしまいそうです。
武道では、あまりに達人の体感が絶対視されてきました。
でも達人の体感による口伝が伝言ゲームになって、もしかすると達人の影はどこにもなくなっているかもしれません。それにあたらしい武道本や映像による伝授も、観念的で客観的な「なぜ」がなく、分かったような気になるだけかもしれません。
【常識を疑うことの必要性】
『怪我をしない体と心の使い方』の第一章は「常識を疑うことから始めましょう」なんですが、読んでいてハッしたところがあります。それは小指の使い方。武道では「足は親指、手は小指」と言って、手の使い方では小指が重要視されます。
しかし本書では、感覚の話なら小指は重要だけれども、小指で強く握る・小指が軸となるという意味だとしたら、それは違う。小指に力を入れて握ると、手首や肘に力みが入り、怪我や痛みにつながるとあります。
要は薬指が軸だというのです。
怪我や痛みはともかくとして、手首や肘に力みが入るのは確かだと思います。
私も剣や杖の握り方では「薬指小指で締める」と説明しますが、自分では指先じゃないんだよな。感覚的には指の根元とか手の平の部分なんだよなぁ。密着させて抜けないようにするなら、そこなんだけどと思っていたので、アヒルの口のような感じでと体感で説明していました。
二ヶ条でも効かせるときには小指を軸にするし、だけど小指に力を入れるのは、剣や杖でも最後の一瞬だけだからいいのかなと思っています。
正直今でも分かりません。本書でも「なぜ」はありません。イチロー選手のバットの握りは、右手小指は引っ掛けているだけで薬指を軸にしていると考えられるとあります。
もちろん、具体的な根拠が示されているものも数多くあります。
そんなにネタバレさせるわけにはいかないので、一つだけ取り上げて、紹介します。
もっといろいろ知りたい方は、本を買ってください。
【75度の肩甲骨の壁】
私が、これだ!とちょっと興奮したのは、腕を側方に上げると、個人差があるものの75度までが肩甲骨の上方回旋なしに上げられる限界とあります。そして重要なのは、上腕に外旋をかけると、上方回旋していた肩甲骨がほぼ元の位置に戻るとあります。
まずどうして肩甲骨の上方回旋するかというと、肩のややこしい構造を理解する必要がありますが、肩峰に上腕骨頭が衝突してしまうのだそうです。
私が動きの推測を元に描き起こしたものなので、間違っているかもしれませんが。
手をおろしている状態。色が付いているのが肩甲骨です。肩甲骨はこんな複雑な形状
腕を上げていくと、75度でフックのような肩甲骨の「肩峰」に当たります。
それ以上に腕を上げると、肩甲骨が上方回旋します。ポイントを簡単に言うと、肩が上がります。
武道では肩を上げるなと、よく言われます。肩の構造は不安定だからこそ、多様な動きができます。でも肩が上がると、特に持ち上げる動作が不安定になります。
合気道では後ろ技ですね。肘持ちでも両手持ちでも、後ろから持たれたら吊り上げて、爪先立ちにさせることが必須です。吊り上げるわけですから、骨格構造的に弱くなるのは大きなマイナスです。
【肩を上げない腕の上げ方】
私はたまにこういうことを、やってもらいます。腕をゆっくり上げていきます。誰かに後ろから肩に手を置いてもらい、肩が上がったと感じたら「上がった」と言ってもらいます。そうすると、どこで肩が上がったのが、本人の体感ではなく、客観的な状態を知ることができます。
そうすると腕が90度付近になる前に「上がった」と言われます。
これをやっているところが、下の動画でもご覧いただけます。
そうか、それが75度なんだなということが分かりました。
そしてそれを回避するのが、上腕の外旋。肘を外に向けることで、肩甲骨の上方回旋を防ぐことができるとあります。
この本を読むまでは、肩は押さえるようにしながら、下から翼を広げるように上げると説明していました。現実の動きとしては、この本を読む前にも適切な動きができていたとは思います。
読んでからは75度で壁がある。だけど75度で急に肘を後ろにするんじゃなくて、バサっと翼を後ろから広げながら斜め前方に上げていくと説明しています。肘は最初から徐々に、つまり滑らかに後ろに向く軌跡を描きます。
この説明方法が適切かどうかは、まだまだ分かりません。適切かどうかは、多くの人ができるようになるかどうかですから。ただ、説明の解像度が上がったとは思います。
『怪我をしない体と心の使い方』は武道の話が多く出てきますが、もちろん武道の専門書ではありません。
でも武道の動きを根拠とともに理解するためのネタが、豊富に紹介されていると思います。
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