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養神館合気道 精晟会には、どうして寝技や絞め技があるのか


腕十字

9月30日に第62回全日本養神館合気道総合演武大会が開催されました。私は指導者演武に出させていただきました。

演武を終わるときは、片羽絞めを使おうと決めていました。師範の方々は、手の平を出して終わりだという合図にされることが多いですが、私が同じように終了するのは恐れ多い気がします。

受けは二人にお願いしたので、ひとりは四方投げの抑えで。もう一人には顔面突きの自由技でやるので、あまり技の設定自体がありません。技自体も自分で応用を考えて組み立てる必要があります。

精晟会には、横面打ち片羽絞めという技があります。横面打ち片羽絞めは横面を流して後ろを向かせて締めます。顔面突きに対してなら、これが応用で使えるだろうと考えました。こちらも相打ちのように突き込みながら反対の手の平で軌道を反らせれば、動きがそのまま後ろに入ることになると。

しかし片羽絞めのような技を使っていいのかな。以前は、養神館演武大会でも結構見たのですが、ここ何年か、私は見ていないのです。

今回の指導者演武には、精晟会から大勢出場しました。指導者演武に国内からの出場57名中、9名が精晟会でした。自分の出番が来るまで演武エリア手前の待機場所に並ぶのですが、待っている間、他の精晟会指導者の演武も間近で見ることが出ました。毎週のように会っている人もいれば、何年かに一度しかお会いしない人もいます。

たまにしか会えない人たちの演武を見ていて、驚きました。

あっちでもこっちでも腕十字、三角絞め、首締めなどのオンパレードです。私は最後に片羽絞めを使うだけで、多少は躊躇したのにと。どうしたんだろうと、笑えてきました。

どうして精晟会には、寝技や絞め技があるのでしょうか。もちろん寺田精之先生が、寝技や絞め技を教えられたのです。

精晟会は、故寺田精之先生の高弟の先生方がお作りになった団体です。寺田精之先生は、合気道養神館の設立メンバーです。

寺田精之先生は、どうして合気道に寝技や絞め技を組み込まれたのか

寺田先生が著された『図解合気道入門』という本があります。初版はたぶん文研出版で、改版を重ねられて合気ニュースから出たものを私は持っています。というのは、掲載する技が追加されたらしいのです。

図解 合気道入門

十字固めの記載

『図解合気道入門』は、基礎編・実技編・女子の護身術・応用編の4部構成になっています。この応用編に、一般的な合気道では見かけない合気道技の用法や崩し方や固め方、寝技や絞め技も掲載されているのです。(残念ながら絶版です)

例えば二ヶ条の固め方は、原理や効かせ方を知っていれば、多様に使うことは可能です。様々な崩しも、合気道から逸脱するものではないだろうと、私は思います。

塩田剛三先生は著書の中で、植芝盛平先生は「覚えて忘れろ」といつもおっしゃられていたと書かれています。また植芝盛平先生がおっしゃられていたという「武産合気」が生成化育するものだとすれば、技を絶対的な型として固定化して、そればかりを繰り返すのは合気道として死んでいるのかもしれません。

ところが寝技の逆関節や頚動脈を絞めたりするのまで行くと、どうでしょうか。

なんとなく合気道から逸脱しているような気もします。それが『図解合気道入門』の改版が進むにつれ、追加されているのだとすれば、どういう事情なのでしょうか。

寝技のきっかけは、海外でのセミナーから?

『図解合気道入門』に掲載されていない寝技などもあります。私が持っているのは、最後の版のはずなのに、そこから細部が変わっているものもあります。

応用に掲載されている「横面打ち短刀取り」は、養神館以外では5教です。多少手の使い方が違いますが、大きな違いはありません。ところが短刀の取り上げ方が、本の掲載時から変化しています。通常は短刀を握っている手を開かせて取るのですが、現在は仕手が両方の手を使って抑えたまま、前足底で遠くに蹴り飛ばします。

私は他流の出身ですので、師範から教えていただいたときには驚きました。一般的に合気道で蹴るのは、品がないと言われそうです。しかし考えてみると、相手が短刀を握っているなら取り上げられまいと必死になるはずです。うつ伏せにして1本の腕を2本の手で抑えているというのに、短刀を取るために1本にしてしまうのは、危険なことだと思えました。

そもそも私は多くの合気道の武器取りに懐疑的でしたので、その方がしっくりきます。相手が同じぐらいの体格ならともかく、はるかに大きい場合を想像すると、蹴るしかないと思えてきました。

蹴るところはありませんが、短刀取りです。

掲載されていないものに、うつ伏せに倒したとき、背中に乗って腕を臂力の養成で逆に極める方法があります。肘を曲がらない方向に圧をかけていくのです。

この技は、寺田先生が海外の道場からの依頼でセミナーを開催されたとき、一ヶ条で抑えた状態から相手がズルズルと前に逃げたというのです。

プロレスや総合格闘技なら、そういう場面はありますよね。ロックされた状態からでも、パワーがあればそのまま移動できるのです。

そのとき寺田先生は、とっさに相手の背に乗りこの技で抑えられたそうです。

海外でのセミナーには、学ぶために来る人ばかりではなく、挑戦するために来る人が大勢いると聞きます。格闘技をやっている人たちも、合気道はどんなものだよと来るのです。

日本にいると、どんな武道でも海外から学びに来る人がいます。

多くの場合、そんな外国人たちは、武道の精神性とかスタイルに憧れて来るので、挑戦的ではありません。体格も驚くような人はそういません。

合気道が広まった戦後の、寺田精之先生を取り巻く環境

寺田精之先生は、合気道の前に柔道や空手、相撲などのご経験があります。故塩田剛三館長に誘われて、植芝道場に入門する経緯は『合気道養神館は、どうして独立したのか』に書きましたが、そこで植芝盛平先生や吉祥丸先生から合気道を学ばれたのが最初のようです。

子供の頃には剣道を。戦後、復員され28歳で拓殖大学に入学されてからは、空手部に入部されています。また塩田剛三館長が作られた志道塾という学生寮では、柔道、剣道、古武道などの指導者を招いて盛んに稽古されたといいます。

拓殖大学では、先輩・塩田剛三先生はもちろん、日本空手協会をお作りになった中山正敏先生、極真空手をお作りになった大山倍達先生とも出会われているのです。塩田剛三先生は、史上最強の柔道家といわれる木村政彦氏と同級生で仲が良かったといいますから、今からは想像もできないような時代だったんでしょう。戦前からの武道は数多くありますが、それほど大きな流れではないかもしれません。戦後から現在に至る武道の流れを作った偉人たちが、数年ほどの短い期間に集結したようです。

有名なノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』にそれほど興味はなかったのですが、たまたまコンビニでコミック版を購入したところ、塩田剛三館長が木村政彦氏に腕相撲で勝った。天覧試合前に強いからと慕う先輩・木村を激励しにやってきた大山倍達氏に、俺の方が強いよカッカッカと笑う塩田剛三先生が登場する場面に、驚いた記憶があります。

なぜ、こんなことを書くかというと、今でも様々な武道をやっている、やっていたという方は、いくらでもいます。でも戦後の日本で武道を広めた先生方は、比較にならないのです。

さらに言えば海外に武道を広められた先生方は、全く存在のレベルが違うのです。想像でしかないですが、それこそ命がけだったのではないでしょうか。

植芝盛平開祖は、どう考えられていたのか

一ヶ条で抑えたところから動かれてしまったら、あるいはそのまま持ち上げられてしまったら、技も何もあったもんじゃありません。武道は、小さい日本人同士でやるもの。俺たちの体格には効かないとなってしまったら、海外に広めるなんてことはできません。ヨガのような健康法としてならともかく、武道としては相手にされません。

日本人同士でも体格差はありますし、年齢差もあります。通常の合気道の技を、圧倒的なパワー差や体格差で返されそうになったときに、対処するすべを持っていた方がいい。私はそう思いますが、植芝盛平先生は、どう考えられていたでしょうか。

手がかりになりそうな記述が、『植芝盛平と合気道 ー開祖を語る直弟子たちー』にあります。ベトナムやフランスに合気道を広められた功労者・故望月稔先生のインタビューがあります。

以下、抜粋します。

実はね、私は植芝先生に叱られたんです。私がヨーロッパから今から三十年前に帰ってきた時、植芝先生にこういったのです。

「私は向こうに行って合気道を広めてきましたが、いろいろな者と試合をやり、合気道の技術だけでは、とても勝てないことが分かりました。柔道の技や剣道の技を自然に出して勝ってきたんです。大東流合気柔術の技だけでは勝負になりません。レスリングなど、転がされたって、負けにはなりませんからね。すぐに立って組みついてくるでしょう。これからは合気道も世界的になると思いますが、もっと技の範囲を広げてどんな敵でもやっつけるようにしなくてはなりません」と。

そしたら先生、「お前の考えは間違っとる。強くなくてはいかん。しかしそれだけではいかんのじゃ。勝ったり負けたりというようなことを言う時代ではなくなっているんではないか。大愛の時代が来ているんじゃよ、お前にはまだそれが分からんのか!」と、あの目玉でおっしゃったんです。

この内容は、読む人によって解釈が180度異なるかもしれません。

私の解釈は、合気道は大愛を持って修行するものだと開祖がおっしゃられていたと思います。しかしお叱りになったのは、望月先生が勝つ、やっつけるというところにこだわられていたからではないでしょうか。

植芝盛平先生は「強くなくてはいかん。しかしそれだけはいかんのじゃ」とおっしゃっているのです。負け続けて帰国されたとしたら、「修行が足りん!」の一言で終わっていたかもしれません。

開祖は合気道を修行する心構えとして、「正勝(まさかつ)」「吾勝(あがつ)」「勝速日(かつはやひ)」を好んで口にされていたといいます。「まさしく勝ち、われに勝ち、しかも一瞬のうちに速やかに勝ち」ということだそうです。

同じ勝つでも、その中身が違う。勝ち負けを超越しているのが正勝。もちろん殺すとか、やっつけるではない。しかし、負けてもいいということとはまったく違う。

私程度で大それたことを書いていますが、海外に合気道を広められた先生方は、『植芝盛平と合気道』のインタビューの中で、当時の合気ニュース編集長スタンレー・プラニン氏の少し挑発的な質問「突きや蹴り、他の武道や格闘技への対処」に対して、どなたも研究しなくていいとはおっしゃっていません。

今回、養神館合気道総合演武大会の私の演武を、私の先生、松尾正純師範はご覧になっていませんでした。SNSで動画をご覧になられたのですが、細部は見えません。「最後に横面打ち片羽絞めを、顔面突きにこういう風に応用して使ったのですが、問題なかったでしょうか」と説明しながらお聞きしました。

すると先生は「そんな風に使うのは構わない。問題は柔道をやってて首が太いやつが来ても、頚動脈にきっちり当てられるかだな」とおっしゃいました。

私はそこかと、絶句しました(笑)

確かにそうです。片羽絞め自体、それほど多く稽古していませんし、特定の人たちとしかやっていないのですから。

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