発端は『合気道競技』という濃い本を読んでいたときのことです。「臂力の養成」という名称とともに、ほぼ養神館で行われている臂力の養成(二)を相対で行なっているのと同じ動作を示す写真が掲載されていたのです。
この経緯は、写真付きでツイートしましたのでそれを読んでください。スレッドになって、続いています。
養神館の基本動作は養神館のオリジナルだと、私は思っていました。
なぜなら『続 植芝盛平と合気道』という本の中に、塩田剛三先生のインタビューがあります。養神館の指導方法はどうやって開発されたかという問いに、「植芝先生の場合、今日やるのと明日やるのがぜんぜん違う。基本などというものはないんです」「しかし、いま初めて来た連中にそのように教えていたのでは誰も覚えない」 だから教わった技を分析し、この技の応用は、これだという風に系統立てて総合的に作っていったと答えられています。
さらに −指導方法を作るにあたって、塩田先生に協力された方は− と聞かれ
「若い弟子の井上強一が来たときに具体的に試しながら作りあげた。臂力の養成などというものも私が作ったし、名前も付けたのです」
と答えられています。
植芝盛平先生の教え方が、系統立っていなかった。技の名称もなかったということは、多くの先生方が『植芝盛平と合気道』の中でも語られています。
しかしそういう本を読まなくても、私たち養神館の合気道を学ぶものは、基本動作をとても重要視しています。特に臂力の養成は、養神館の象徴的な稽古方法だと思っています。もしかしたら、私だけ、なのかもしれない可能性はあります(笑)
そもそも臂力の養成とは、なんなのか
臂力の養成は、単純にいえば剣の振り上げ振り下ろしの動作です。それを徒手の単独で、両手で持たれた相対で、剣を持った剣操法で行う三種類があります。
この動作の中に、大きな重心移動、中心線の保持、ぶつからない上げ手、下半身の鍛錬などさまざまな要素が含まれています。
埼玉 明龍館のジム先生が、単独で行う臂力の養成(一)を詳しく解説されています。
相対ではどうか。基本動作としてではなく、崩しとしてこういう作用だと私は考えています。
基本動作として相対で臂力の養成を行う場合は、無理に抑えようとしたりせず、お互いに力の流れを感じながら姿勢を維持しながら動くことを学びます。
基本動作の動きは、少し変化させるだけで技になります。それをひとり(単独)ででも学べるのですから、とても優れた稽古方法だと私は思っています。
最初に使っている写真は、高校生の女の子の臂力の養成ですが、力の流れがはっきりと見えて、美しささえあります。
だからなおさら臂力の養成が、養神館オリジナルではないとなると、驚いてしまったのです。
しかしその答えは、養神館2代目館長 井上強一先生の著書に、あっさり書かれていました。
戦前の植芝道場では、体さばきの基本を学ぶ準備動作を定めていた
「時代によって動作も呼び名も変わったらしいが」という前提で、植芝道場では「体さばきの基本を学ぶ準備動作と、整理運動を兼ねた終末動作をいくつか定めていた」と井上強一先生監修の『合気道 呼吸力の鍛錬』に書かれていました。
この本も、すでに中古本しかないようですが、下の画像からアマゾンにリンクさせておきます。
戦前の植芝道場にあったのもを「警察や自衛隊に指導が拡大したときに、大勢を対象に理合の効果的な指導を行う必要に迫られて、稽古方法を大きく再編成した」「旧来の基本動作も理合いにのっとり、より明確に定めたものが、現在の構えと基本動作6本である」とお書きになっています。
植芝道場にあった証拠のように、植芝盛平合気道開祖が植芝盛高名義で昭和16年に発行された『武道』に掲載されたページ、開祖の終末動作の受けをとる当時23歳の塩田剛三先生の様子が掲載されています。
ここから先はマニアック度がエスカレートしますし、私の妄想かもしれません(笑)
ですので、どうしても読んでみたいという方だけ、お進みください。
大東流の書籍にも出ている「ひ力の養成」
ツイートしてから、合気道の複数流派と大東流もおやりになっている知り合いから「他の書籍でも似た動作が載っていました。合気武道精髄だったでしょうか」という反応がありました。
あ、あの本か。私も持っているので調べてみました。
すると、ありました。<振子動作「ヒ力、丹田の強化」>という見出しがあり、目的と意義として「ひ力、丹田を強化し、体感する」とあります。
抜粋してみます。
振子動作は合気武道に独特の鍛錬法であり、合気武道の総ての技がこの動作の中に集約されると言われている。この動作は一番から五番までありそれぞれ丹田、ひ力の養成、強化の為に行われる。
この場合のひ力とは、主に丹田から出る気の集中力であり日本武術には必要不可欠のものであるのだが(以下省略)
振子動作の一番は、まるで養神館の臂力の養成(一)を、重心移動を抑制して行うとこうなるという印象です。「この動作は合気揚げの一つでもある」という注釈もあります。
プロフィールによると著者は大東流の会を設立されたとあるので、合気道が成立する以前の大東流の中に振子動作というのがあったのでしょうか。
大東流の会を検索しても全く出てこないので、なんともわかりません。私は、あってもおかしくないと思っています。
実は著者の先生は、合気会と西郷派大東流で学ばれた方だという説があります。どこの系統で学ばれた方なのかはっきりしませんが、私はこの本の解説は、とてもいいと思っています。
系統が謎でも、ここに出ているどの振子動作も大東流や合気道をやるものなら、見慣れた技の動作の一部なのですから。
それらが大東流どころか、日本の昔からの柔術の流れの中で、どこで生まれていても不思議ではないと、私は思います。名称として「臂力の養成」ではなく、「丹田や臂力を養成・強化するための鍛錬法」として広く、行われていたのではないでしょうか。
藤平光一先生がおやりになっている一教運動の目的は
例えば一教運動という広く知られている名称がありますが、どんなものなのかは、映像としてそれほど公開されていないようです。YouTubeを見ると、合気会の先生が公開されているものは、ちょっと違いますが、心身統一合気道を作られた藤平光一先生がおやりになっている一教運動は、臂力の養成と似た動作で、似た目的ではないだろうかと思われます。
この動画を拝見すると、舟こぎ運動から変化していき、一教運動に至っているように見えます。そして一教運動は四方八方への動きに変化していきます。(3分30秒あたりまで)
藤平先生の舟こぎ運動は、腰から動くもの。つまりは丹田、重心が移動し、その力が腕を通して伝わっていく、全身の協調運動。一教運動の四方八方への動きになると、方向を入れ替えても乱れない中心力を養成するものだと私には思えます。
何より舟こぎから一教運動へと変化して行く様子が、とても興味深いです。
行法としての側面についての考察
『合気武道精髄』には、「この場合のひ力とは、主に丹田から出る気の集中力であり日本武術には必要不可欠のものである」とあります。
よく舟こぎ運動や振魂などは古神道の行法だと言われますが、合気道でも他の武道でも、行として行っていそうだと思えるものを私は見たことがありません。
ところが念のためにと探してみたら、ありました。
明治神宮至誠館の荒谷館長による舟漕運動というタイトルの動画です。振魂から左を向いて鳥船、また正面を向いて振魂で右を向いてという流れですし、荒谷館長のご説明は、大周天などの気功法と同様のものだと私は感じます。
これは珍しいし、貴重だ。武道関係で、こういう舟こぎを継承されているなんてと驚きます。さすがに至誠館ならではだと思っていました。
ところがです。この動画を見ているうちに、あ、これは精晟会でも禊のときにやっている! 同種のものだと気がつきました。
私が所属している養神館合気道 精晟会では、毎年鎌倉の鶴岡八幡宮で「精晟会指導者研修合宿」を行っています。研修道場での稽古前に本殿参拝します。参拝前には、禊場で褌姿になり、禊を行います。水を被る前に「祓戸大神、祓戸大神〜」から始まる祝詞(というのか祓詞というのか私には知識がありませんが)を唱えながら、腰あたりから邪気を出す動作、そして気を入れる動作をするのです。
一番前で禊を先導される松尾正純精晟会会長によると、故・寺田精之先生がおやりになっていたままをやっているだけだとのことでした。
私は合宿の幹事をやらせていただいたときに、神社側とさまざまな折衝をしましたので、神社側から教えられたものではないことを知っています。
明治神宮も鶴岡八幡宮も古神道ではありません。どういう流れかは不明ですが、さまざまなルートで、古代からこの種の動作が続いていたとしても、それほど不思議ではありません。
古くから行われている動作に、意味をいろいろくっつけてしまうと、ややこしいことになります。
でも丹田から動くとか、気を入れるなどは、多くの日本の芸事でも同様のものがありますから、難しく考えることはないと思います。
古くから部分的にでも残っている日本的な動作は、芸能や武道の中に、あるいはさまざまな所作として残っている。残っているのは、たぶんその動きに美をを見出しているからではないかと。
日本人の身体に適した動きだからという論も数多くありますが、それならもう若いオリンピック選手たちのプロポーションには当てはまりません(笑)
なにを重視し、なにを残して行くのかの選択
舟こぎ運動は、海の神に穢れを払ってもらうための櫓を漕ぐ動作を禊として行ったとされる説が強いようですが、航海の安全を祈願する出航前の儀式、踊りのようなものと考えれば、私にはしっくりきます。
櫓を漕ぐときに、効率的な動きとして合理的に追求すれば、丹田が前後する重心の移動を腕に伝えるのが、力のロスがない。そのときに臍下丹田に気を吸い込み、また邪気を出すという呼吸だとイメージすれば、さらにロスがありません。
剣の振り上げ、古代なら太刀や棒を振り上げる動作が、祭事で踊りとして行われていても不思議ではありません。重い太刀をなんども振り上げるなら、自分の中心で上げるのが合理的です。
臂力という概念が昔からあったのは、間違いないでしょう。ひりょく、びりょくなど、臂力という字で読みかたは複数あるようですが、剣術などの力の表現で出て来るようです。相撲でも腕力ではなく全身を使った力として、臂力として表現されている文章を読んだことがあります。
何が言いたいかというと私の想像だと、昔々から宗教的な行法も踊りや武技格技も渾然一体となってあった。剣の振り上げ動作は剣術だし、踊りや他の武技や格技の中にもあった。
それを大東流合気柔術では、武田惣角が合気上げという名称で、合気をつかむ稽古法として成立させた。
合気道という名称になる以前から、植芝道場には「丹田や臂力を養成するもの」として、昔からの剣の振り上げ動作ほか、さまざまな古神道の行法や武技格技の錬体法があった。
藤平光一先生は、リラックスした統一体になるための氣の鍛錬法として振魂や舟こぎ運動、一教運動を残され、強化した。もちろんそこには、中心力の保持や重心移動も含まれている。
養神館では、塩田剛三先生が、植芝盛平先生がおっしゃる呼吸力の根本は中心力だ。中心の保持=中心力が呼吸力の源として、剣の振り上げ動作を「臂力の養成」とした。丹田の水平移動ではなく、前傾姿勢からの大きな重心の移動があり、単独でも、相対でも、剣を持っても行える鍛錬法として成立させ、重視した。
富木流では、養神館でいうところの臂力の養成(二)のように、逆方向への重心移動による崩しから始まる。強い崩しを重要視されているように思えます。
いずれも全身の協調運動で、腰・丹田から出る力の流れを強化するところが共通しているけれども、どこに重点を置いて体作りをするのか、というところが違っているだけではないかと。
ひとくちに合気道といっても、いろいろあります。植芝盛平先生の指導された技は、体系化されておらず、その弟子たちが鍛錬法も含め、さまざまに再編成し体系化した。教えられた時期が違えば、開祖の技も変化していてかなり違う。そして体系化された先生方が、何を重要視されたかによっても、かなり違う。
養神館は中心力が呼吸力の源として、目的を明確にして基本動作を作った。
臂力の養成も含め、『合気道 呼吸力の鍛錬』に書かれている通りなのだと思います。
呼吸力を養成する方法や設定さえも、系統によって変化している
『合気道 呼吸力の鍛錬』に写真が載っている、開祖が植芝盛高名義で書かれた『武道』には、さまざま呼吸法が掲載されているそうです。養神館の「座り技両手持ち呼吸法」は(一)から(五)まであります。それだけあるのは、どうも『武道』に対応しているようです。
何を根拠にそんなことを推測したかというと『開祖 植芝盛平の合気道』という本に、塩田師範における「呼吸力養成法」/斎藤師範における「呼吸力養成法」/合気会における「呼吸力養成法」/砂泊師範における「呼吸力養成法」/藤平師範における「呼吸力養成法」/とそれぞれの師範の「呼吸力養成法」が再現され、解説されています。
著者は大東流合気柔術師範で古神道家ですが、それぞれの師範の書籍、たぶん現在では入手困難なそれぞれの師範の著書に書かれた呼吸法や呼吸力の説明から再現されたようです。
ちなみにこの本には各師範の「鳥船」についても載っています。 鳥船とは舟こぎのこと。塩田剛三先生の鳥船まで解説されていて、驚きました。というのも初期の養神館本部道場では舟こぎ運動も行なっていたと聞きます。しかし現在では行われていません。
想像すると、基本動作をやり込めば、舟こぎ運動と同様の効用も得られるということでしょうか。
精晟会渋谷では舟こぎ運動などの行法はやっていませんが、基本動作は段階的に、きっちりやっています。ぜひ体験してみてください。