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「刃物に素手で立ち向かうな」は本当か?


短刀取り

6月10日日曜日、養神館合気道 精晟会あざみ野支部代表 松尾千津子師範の八段、精晟会横浜合気道会支部 中川道場 加賀谷道場長の六段昇段をお祝いする会がありました。大勢の人たちが参加していました。

関係者ばかりですので、会話は合気道の話題がほとんどです。私のとなりに座っていた白帯の人が、「新幹線に乗っていて、ああいうことがあったらどうしますか?」と聞いてきました。

前日、新横浜駅を発車した東海道新幹線の車内で乗客を鉈とナイフで襲ったという凄惨な事件があったのです。襲われた女性を助けようとした人が、殺害されました。

「どうするかって、なんとも分からない。凍りついて身動きできないかもしれないし」「離れた席から助けに行った人は、本当に凄い」「言葉では勇ましいことでもなんでも言えるけど、見た瞬間にとっさに動ける人はまずいない。それだけで尊敬に値する」

命を捨ててかかっている犯人に対して、自分の危険を顧みず、他人のために飛びこんでいける人がどれだけいるでしょうか。「自分がどうかなんて、狭い場所で鉈振り回すやつがいることすら想像できないわ」と答えました。

電車の中でケンカが起こりかけただけでも、みんな逃げてしまうのです。

そのとき私は逃げませんでしたが、刃物で誰かを斬りつけていたとしたら、どうだったでしょう。あのとき私が止めに行ったのは、直感的に止められると判断していたからで、たぶん正義感からではありません。

誰かを護ることを職業としている人たちは

武道をやっているのは、さまざまな要素があって面白いと思っているから。その要素の中のひとつに護身、護身術という側面があるのは間違いありません。

でも護身というのはまず自分を護るということであって、他人を護る・助けるとなると、まったく次元のちがう話です。技量的にも技術的にも、かなり違っていて当然です。

SPやボディガードという職業の人たちが、わかりやすく言うと寝技を練習するでしょうか。出来る人であっても、仕事の中で使うことはまずないでしょう。

テレビなどで海外のアーティストがボディガードに囲まれて建物から出てくる映像を見ることがありますが、複数で、自分たちが盾になっていますよね。

私は駐日アメリカ大使を護衛するSPの人たちと話したり、仕事の現場を間近で見たことが何度かあります。屋外では基本、歩かせないようです。大使が歩きたいと言いだすと、大騒ぎになります。屋内でイベントするときの様子も、離れていてもフォーメーションで備えていたのです。いつだって護る基本は、複数によるフォーメーション。

万が一があったら、体を張って自分が盾になるのでしょう。

白帯の人が聞いてきたのは、そこまでのことではないと思います。でもどれだけ想像したところで、妄想でしかないかもしれません。実際の刃物を相手にしたり、襲われている人を助けるのは、合気道に限らず、武道の稽古とは遠い現実です。

格闘家の菊野さんがこんなツイートをされていました。まったく共感します。

共感しかないですが、菊野さんのように強い人でもこう考えられるなら、私が何を想像したところで妄想でしかないという気になってきます。



本物の刃物を向けられると、誰だって身がすくむ

杖道という武道があります。太刀を杖で制するのですが、元々は杖じゃなくて槍だったんじゃないのと思っていました。太刀といっても稽古するのは、木刀を使います。これが本当の真剣だったら、白樫の杖で立ち向かえるのかどうか。突く叩くはあっても、攻撃力は弱いのです。

木刀と違って、真剣ははるかに重いのです。真剣を白樫の杖で受けとめても、重みとともに押さえられたら致命傷にならなくても、切っ先が少し当たっただけで皮膚は斬れるでしょう。

ましてや真剣で狙われたら、それだけで緊張感が桁違いです。

杖道のベースになった神道夢想流杖術は、江戸時代に捕手術、つまり相手を殺傷せずに捕らえる術として学ばれたといいます。捕手術とは、たぶん今の逮捕術みたいなものではないでしょうか。私が所属していた団体は、警視庁の機動隊隊長が設立されたということですが、警視庁が作った警杖術というものもあります。警杖術もやはり、殺傷せずに捕らえるためのもの。しかも捕らえるには、複数でかかります。

合気道では短刀や剣、杖を使います。もちろん、すべて木製です。武器取りが当たり前のように行われていますが、短刀や剣が本物だったら、稽古すらできません。

どころか多くの合気道では、短刀や剣を攻撃するものとして扱われていないように思えます。養神館合気道には短刀操法というものもありますが、さまざまな持ち方、向け方、突き方も詳しく指導されます。

それでも、シミュレーション。理合いを稽古するものでしかないのです。

本物の刃物を出されたら、どうできるのか、私には分かりません。

以前、警察署で演武させていただきました。短刀取りをやったのですが、ほら凄いでしょう、なんてつもりはまったくありません。前にも書いていますが、“がんがんヤジを飛ばして欲しい。「今の刺さってるぞ」とか「手首切られて出血してる」とか突っ込んでくれ”とさえ思っていたのです。私の考える理合いは、まず入身して止めること。それを稽古してきて今日演武させていただいていますが、どう思われますか? 

と自分から晒すことで反応が欲しいと本気で思っていました。

このとき大勢の署員だけではなく、来賓の両サイドには、剣道師範と柔道師範が座られています。


型稽古をしている私たちが、仲間内ではないフィードバックをもらえることなんて、まずありませんから。かといって型にならない稽古では、木製であっても危険過ぎてできません。

ましてや本物の刃物を使った稽古なんてできるわけがありません。

いや警察官だって、本物の刃物を相手にしたことのある人はとても少ないでしょう。あったとしても、武器を持たず、ひとりで立ち向かった経験となると皆無に近いかもしれません。職業として立ち向かわなきゃいけない人たちは、武器を持って、複数で取り囲むのがセオリーです。防刃ベストを着用しているのではないでしょうか。

有段者たちは、素手で立ち向かえるわけがないと

後日の報道で、新幹線の座面は外せるようになっていることを知りました。車掌はそのことを車内放送したし、座面を持って犯人に落ち着くよう説得したと。

こういう事態を想定して、訓練もされていると知って驚きました。行ける車掌も、素晴しいです。それにしても新幹線内で事件、しかも殺傷事件が起きるようなことを想定しなきゃいけない時代に、いつの間にかなってしまったのですね。

私は通勤電車内のトラブルや、駅員への暴行があることすら、異常な状況だと思っていたのですが。

会話を聞いていた有段者たちは、素手で立ち向かえるわけがない。みんなでものを投げて怯ませるとかしないと、興奮しているやつを相手に出来ないとか、口々に言います。私もその通りだと思います。

Twitterでも喧々諤々ですが、刃物の危険さ、アドバンテージを言う武道関係者は大勢います。立ち向かうなら、武器になるものを持てと。私もその通りだと思います。ですが、じゃあどうやるのかと。

何もやってもいないのに、想像だけで発言するのは、私はしたくありません。普段やっている徒手の対武器技に、ありふれた“もの”を使ってどう応用できるか、翌日の稽古で少しやってみました。


傘は剣や杖と、ほぼ同じように使えます。まず中心を抑えに行きます。リュックは刃物を止めるのに、役立ちそうです。

傘の先は、かなり手前で安全に止めたつもりでしたが、映像を見ると、相手の足先にまで届いています。打ち合わせも何もなしに、そして初めてやっても、相手も有段者なので察知して止まりましたが、実際の事件の場でやったらどうでしょう。

興奮している犯人だと止まらないでしょうし、アドレナリンが噴出していれば、少々当たったところで痛くも痒くもないでしょう。

現場で確実に突進を止めるためには、致命傷を負わせるぐらいに顔面を突き込む必要がありそうです。

リュックには着替えた服が入っていて、それなりにクッションがあるので、仮に刃物が当たっても大丈夫かもしれません。リュックは動画に出てきている2回しか使っていません。そして当たったのは腕で、フルパワーで刺しにきているわけではありません。

ところが領収書などを入れるハードケースが、砕けてヒビ割れてしまいました。タブレットなどを入れるための、クッションのあるエリアに入れたままだったのです。

これが鉈だったらサバイバルナイフだったらどうなるか、実際に実験してみないと分かりません。

軽いシミュレーションであっても、やってみなきゃ分からないことばかりです。

どれぐらいかは分かりませんが、素手よりははるかに刃物を防ぐことができるはずです。もちろん座面でも。誰かを護るためなら、なおさら盾になるものが必要です。

体捌きできるスペースもなければどうするか

私もよくやりますが、短刀で突いてくる。間合いがあって加速されていてスピードが出ているので、体捌きで躱す。クルッと回って相手に向き直る。すると手の力だけで突き出した加速だけになるので、スピードは落ちます。

しかし新幹線の中では、そんなことをするスペースがありません。

ましてや、武器を扱うどんな武道であっても、攻撃方法が想定されています。それは安全に稽古するためだし、技術体系を確立して、指導・体得ができるようにするためのものです。

空手の道場で、ヌンチャクを扱う。ヌンチャクを振り回して投げることは想定しないんだなと、私は思っていました。杖道でも太刀や杖を投げたり、片手で振り回したり、蹴ったりすることは想定されていないんだなと思っていました。そんなことを言うと、素人かと笑われそうです。

だけどこういう犯人は、合理的な訓練をしているわけではありません。武器を投げるわけがない、手放すわけがないと思うのは、稽古している人同士の思い込みで、お約束です。

ムチャクチャだということは、どんな斬りつけ方をしてくるか予想できません。投げつけてくることだって、ありえます。

投げることは、失敗すればとてつもなく不利な状況に陥りますが、高い攻撃力を発揮します。成功すれば、ですが。ここに拳銃を所持した警察官がいて、犯人が誰かに鉈を振るっていたら撃てるでしょうか。一発で致命傷を与えられればいいのですが、外すとどうなるでしょうか。

新幹線の車内には、他の乗客がいます。離れた場所であっても、跳弾でどこへ向うか分かりません。きっと警察の規定では「他の乗客がいる場所では、どんなことがあっても撃つな」ではないでしょうか。

技量があれば、安全に制圧する方法があるのか

誰も傷つけず、自分も傷つかず、安全に犯人を制圧する方法なんてたぶんない。上で傘を顔面に突き込むなんて書いていますが、突き込めるかどうかは別にして、突き込んで致命傷を与えたら、日本では過剰防衛になって罪に問われそうです。最終的に無罪になるかもしれませんが、拘束されて起訴される可能性が高いのではないでしょうか。

ちなみにですが、正当防衛が成立するには「やむを得ずにした行為」と言えるかどうかで判断されるのです。判例によると「反撃行為が防衛するための手段として必要最小限度のものであること、すなわち反撃行為が侵害に対する防衛手段として相当性を有すること」なんだそうです。必要最小限度かどうかなんて、制御しながら適度に刃物に立ち向かえる人なんて皆無でしょう。圧倒的な戦闘力の差がなければ、そんなことできません。

しかも検察官や裁判官によって、必要最小限度の基準は大きく違いそうです。

それになりより自分自身を防衛するための反撃であって、見知らぬ誰かを助けるためにした行為は正当防衛の対象になるのでしょうか。

というか、そんな後のことを考えたりしている段階で無理ですよね。

狂気で鉈を振り回している犯人に立ち向かうには、とんでもなく勢いが必要なはずです。精神状態も肉体も、なにも考えずに反射的に飛び出していけないと、立ち向かうどころか、誰かを助けることだってできないと私は思います。

誰がその場の必要最小限度を判断できるのか、かなり疑問ですが、法律的な仕組みは誰かが判定するのです。

日本では、護身道具として売られているグッズやツールも、攻撃性のあるものは、携帯しているだけで軽犯罪法違反だそうです。

そうすると車掌がやられたように、トランクや座面クッションを盾にして、落ち着くように説得するという方法しかないように思います。

大勢で座面シートを持って、犯人を押し込んで潰すという方法はあるかもしれません。もちろん無傷ではすなまいかもしれませんが、結局のところSPやボディーガードのセオリーが一番確実性が高いように思います。あくまで大勢が残っていて立ち向かえれば、ということですが。電車内でケンカが起こりかけただけでも100%近くが逃げるのですから、ほぼ期待できません。

いぜれにせよ、犯人が隣にいて斬り掛かってきたら、いくら頭と首をガードしても腕が無傷ではすみません。ガードするのに役立ちそうなリュックなどは、座面より早くても、持って構えるまでに数秒はかかるでしょう。身も蓋もない言い方ですが、瞬時に対応できて、安全に制圧できる方法、そして法律的にも許される方法など、どこにもないのではないでしょうか。

何秒かはかかっても、身近かなものを盾や武器にし、合気道の動きや技を使って対応する方法は、これからも試行錯誤したいと考えています。実際にどうするか、模擬的にやってみないと使える可能性は、限りなくゼロです。消化器だって消火栓だって、1度でも訓練していないと、もしものとき、すぐには使えないでしょう。

逃げるにしても、襲われたらそれを止めなきゃ始まらないのですから。

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