最近入会してくれた人がいます。ブランクがあるものの、養神館の有段者です。
体験に来られたときに、稽古方法について話しました。現在は剣や杖を使って、直接触れない稽古方法にしているけれども、これからは時間を区切って通常の徒手の技をやるつもり。ただ、コロナの感染拡大の度合い等で、この先も触れない稽古をするかもしれないし、なんとも約束できないと伝えました。
もしかしたら、この先ずっと、何年も触れない稽古をしているかもしれない…
『サッカーと感染症 -を読んで』にも書きましたが、早くても2年以内にドラスティックな変化が起こるとは考えにくいのです。
杖取り主体の稽古は、コロナ以前から稽古をしていた人なら、すごく戸惑うはずです。
私だって戸惑っていて、どうやるのがいいんだろうと日々考えて、稽古のたびに試行錯誤しているのですから。
【養神館合気道の特色は】
現実問題として合気道は多様ですし、稽古方法になるとさらに様々です。
養神館合気道の稽古方法の最大の特色として、基本技の方法が明確だということがあります。少なくとも初段になるまでは、基本技の稽古がメインですし、その方法は養神館のどこの道場に行っても、それほど変わらないと思います。
いや精晟会は、というか私の先生の稽古はけっこう違うかもしれません(笑)
私の先生は精晟会の会長ですが、精晟会全体で同じことをしているかというと、そんなことはありませんが、それでも他の流派と比較すれば、養神館は統一されている方だと思います。
養神館のすべての技には、(一)と(二)があります。
片手持ちなら、(一)は引かれたとき。(二)は押されたときの技です。(一)が入身技で、(二)が転換技というと概ね当てはまりますが、すべてではありません。養神館の特色のひとつとして、他流と比較すると入身技が多い。前に出て、止めることをする技が多いです。
別の言い方をすると、ただ流してしまうことがないということです。
私の先生の場合がどうかというと、ほぼ(三)の稽古なのです。
(三)とは初期の養神館にあったのだそうですが、片手持ちなら、その場で動かされないように固定します。設定としては、押されたり引かれたりするより、はるかに難易度が高いです。
(三)の稽古は極端ですが、流すことが少ない稽古体系という点では(一)や(二)と同じことです。
分かりやすい例としては、後ろ技。多くの流派では、受が走り込みながら右手で仕手の右手を掴んだら、その勢いのまま後ろに回り込んで左手を掴むというのが基本なやり方だと思います。
このやり方だと、受は動いている。つまり自分から崩れていっているので、これを投げたりするのは比較的容易です。
養神館では、後ろに回るプロセスまでがあって、受はガッチリ持ってきます。少なくとも腕を掴む段階では動いていませんし、バランスを崩していません。
持たれたら、お終い。だから誘う、導くがあるという考え方は妥当だと思います。
でも相手はいわば拘束して何かしようとしているのだから、ガッチリ持たれたらどうするの? ということを基本技でやるのが、養神館の体系だと思います。
すべての基本技はそういう発想でなりたっているので、杖取りでも、やはり流してやるのは養神館の技術体系にはそぐわないよなと考えていました。
ましてや仕手が杖を出し、誘って掴ませて崩すのは個人的になしです。合気道の稽古の設定として、仕手・取りが武器を持って、素手の相手を攻めることから始めるなんて、ちょっと理解できません。
【養神館合気道らしい杖取りとは】
技術体系というと大げさですが、養神館らしいかどうかということになると、なによりも中心力が重要です。
塩田剛三先生は、「植芝先生は呼吸力呼吸力と言っておられたんですが、これは結局私が分解したところによりますと集中力即ち中心線の力。これはあらゆるスポーツに通じると思うんですけど、中心線の強さ、ぶれないということこれが大事ですね。
(中略)植芝先生は何やらブラブラしているんですが、ちゃんと動きが生きている。そしていざとなったときはスパッと変わってしまうんです」とおっしゃっています。
養神館は構えからして、呼吸力の中でも中心力に特化した合気道だと思います。
中心力がなければ、杖取りをしたところでなあ、養神館らしくないよなと躊躇していました。
『合気の杖はどうして水月を突くのか?』にも書きましたが、養神館に杖を扱う技術はありません。
一方で、塩田剛三先生が杖をやられていたのは確実です。
「<あのころ>ケネディ長官、合気道見学 飛び入りの護衛ひねる」という見出しで、共同通信が記事を出しています。
昭和37年、ケネディ大統領の弟ロバート・ケネディ米司法長官養神館」で合気道を見学。ボディガードを塩田剛三先生と立ち会わせたという有名なエピソードを、<あのころ>として取り上げています。そこで使われている写真が、塩田剛三先生の杖取りなのです。
写真自体が販売されているので、見たい人は下記のリンクからどうぞ。
もちろん塩田剛三先生は、岩間でも杖や槍をおやりになっていたはずだと思います。
おやりになっていたけれども、もしかしたら杖は中心力になり得ないから外したのかもと考えていました。
私のこれまでの杖の経験でも、中心力として杖を扱うのは難しいと思っていました。
ところが6月から稽古を再開して、実際に流れでやらない杖取りをやりはじめたら、いやいや中心力でやれるわ。むしろ中心力を使わないと、ガッチリ持ち合ったところから崩せないよ。
と実感したのです。
【突かば槍 払えば薙刀 持たば太刀】
私程度が考えることですから、間違っている可能性は十二分にあります。
繰り返しになりますが養神館に杖を扱う技術がないのですから、もちろん杖取りはありません。
やるなら創意工夫するしかないのです。
現在のところ、突き(直突きや返し突き)からの技をやっています。今後、打ちからの技をやりはじめたら変わるかもしれませんが、今のところ、突きです。
最初は突いてきたのを捌いて掴む。その掴んだところから、どうするかでいいと考えていました。
ところが『合気の杖はどうして水月を突くのか?』に書いたように、突き方はどうすると聞かれたことから、結局は攻撃方法から投げまでを、いわば型として行うようになってしまいました。
「突かば槍 払えば薙刀 持たば太刀」と杖を形容する有名なフレーズがありますが、槍のように突くなら、顔面か喉、あるいは肋骨でしょう。払うのは、合気道では後ろから足首を払ったりしますが、それで倒れるかどうか。
いやいやそんな具体的なことよりも、ただの棒っ切れが、千変万化して多様に使えることを、槍 薙刀 太刀をモチーフに表現した言葉なのでしょう。持たば太刀の直接的な意味は、叩くということかもしれません。少なくとも太刀のような使い方が出来ると言っているのですから、太刀のように使えばいい。
太刀のように使うにはどうすればいいかといえば、養神館には剣操法があります。
杖で突いてくる。それを捌いて掴み、剣操法のように動けばいい。
捌くのは、内と外に、大きく入り身するか小さく外すかの大別すれば四種類。掴んだ時点の受との間合いも四種類。そこから剣操法の動きを組み合わせていけばいい。
剣操法は基本動作と同じく、臂力の養成、体の変更、終末動作でそれぞれ(一)と(二)で6種類ありますが、もちろんそのまま当てはめられるわけじゃない。要所要所が、剣操法の動きになっているかを考えながら組み合わせています。
その際、大きなポイントは後ろの手。右前なら、左手がどこの位置にあるか。
徒手の構えでは、後ろの手は腹の前となっていますが、帯の結び目、あるいはヘソの前あたり、拳一個半と考えればいい。それをベースに後ろ手の位置を意識して、動かすときには手でやらず腹でやる。
そう考えてやっていたら、これが楽に動くのです。
徒手や剣の構えと、杖を持ったときでは手幅がかなりちがう。相手との距離が違うなど、さまざまな条件が違います。長い間合いで相手を動かそうとすると、動かす先や相手の持っている場所に意識が向きやすい。だからこそ忘れてしまいがちな、後ろ手の位置が重要なのです。
中心力で杖取りはできる。
まだまだ試行錯誤していますし、何より杖を使うことで危険度は増しますから安全に、そして簡単に出来る方法を探りながらですが、とりあえずこれなら、長くやることは可能だなと思えるようになってきました。