武道には、神秘性のオーラをまとわせるワードがあります。
その代表格が気。
しかし、気とは何なのか?
気とは何かを簡潔に合理的に説明できる人となると、限りなくゼロに近いかもしれません。特に合気道では、これだけ「気」という言葉が使われているのに、です。
大正時代から戦前にかけて、霊術と呼ばれる民間の健康法、健身法、治療法などが盛んだったそうです。今でもそれらは形を変えて、盛んだと言えるかもしれません。
例えばGoogleなどIT企業がこぞって取り入れた、瞑想などのマインドフルネス。宗教的な行法のヨーガも、現代ではファッションのようなフィットネスのカテゴリーかもしれません。食養法は、世界的にはマクロビからビーガンへと流行は移り変わりながら、セレブと言われる人たちが牽引しているかのようです。
そして形を変えていないものは、一般的には“いかがわしい”存在とされているでしょう。
自己啓発セミナーなどは、戦前からの洗脳の方法を踏襲し、あやしいイメージが強いかもしれません。
植芝盛平先生が、終生信仰されていた大本教。
大本教は戦前の霊術の最大手といってもいいでしょうし、現在まで続く霊術の流れの最も太いネタ元でしょう。また西式健康法の創始者は合気道をやられていて、合気会の理事であったぐらいに関係が深かったそうです。
現代において武道の世界は特殊で、一般的にはあやしい存在でも、やっている人たちの中では当たり前とされていることは少なくありません。
合気道では、少なくとも「気」は、現在でもそのままに残り、受け入れられているのではないでしょうか。「気」をあやしいという合気道の人は、とても少ないと思います。
しかし合気道の中には、気を超能力のように扱っているところもあります。それを、どう解釈するのか。たぶん指導者に聞いても、「Don’t think. FEEL!」で終わり。
誰も「気」を詳しく説明しようとしたり、定義しようとしていないなら、解釈がどんどん膨張したり変質していっても不思議ではありません。
合気道は、神秘系武道なのか
私自身は、世の中で「気」で説明されることは、かなりあやしいところを含んでいる。何でもかんでも受け入れるわけにはいかない。
何より稽古の中で観念的な方向ばかりで合気道を説明していると、もともと素養のある人たちが困った方向に行きかねない。試合のない型武道では、観念が先走りしやすく、現実から遊離した観念の世界に留まる人が出てきてしまう懸念があるのに、それでいいの?と感じています。
そこで稽古では「気」という言葉は使わないようにしながらも、理解し納得している範囲の気の概念を使って説明しています。力を抜いて呼吸力を出すなど、いわば比喩的な方便としての気の概念は、感覚を理解するのに、とても便利です。
一説には「今や武道は、特に合気系は最大のスピリチュアルの受け皿」という話があります。
鍛えなくても稽古しなくても、合気や気などをスピリチュアルな作用として、まるで一発逆転の超能力のように惹かれている人も少なくないそうです。宴会芸にしかならなさそうなことも、閉じられたコミュニティでは成り立ってしまいます。
ある流派の高段者とその手のことを話していたら、「うちは元々スピリチュアル好きな人が多いから」という返事で驚きました。元々はスピリチュアルじゃないはずなのに、引き寄せる要素が強いのでしょうか。
ともあれ、今回も合気道の用語。気について、開祖の直弟子の先生方の言葉を探していきます。
開祖の語られた「気」は広範囲すぎて
合氣道万世館をお作りになった砂泊諴秀先生。著書『合氣道悟道』に、氣の養成(一)から(四)までの文章があります。そんな小見出しなので当然、氣の養成法について書かれているんだろうなと考えてしまいますが、養成法はまったく書かれておらず、ええーっとなります(笑)
養成法なしに、「合気道開祖植芝盛平翁のように、武聖の高さにおられる人の氣の感じ方は、凡夫の低い氣の感じ方とは違うようである」「開祖の遺訓の中から氣についてのお言葉を拾ってみた」と続きます。
砂泊先生は「氣とは何か」と書くことに悩まれていて、文章としては「氣を感じることは一人ひとり違うものであり、それを筆舌で表現して他人に納得させることは不可能なことであるからだ、というほかない」とお書きになっています。
あくまで推測ですが、砂泊諴秀先生は、もしかすると開祖の真意ははかりかねるとお書きになりたかったのではないでしょうか。だから開祖の遺訓を列挙されたのかもしれません。
私の知る限り開祖の気についての発言は、もっとも多く『合氣道悟道』にまとめられています。
ごく一部、抜粋します。
「五体は宇宙の創造であります。この力の宿る所、すなわち精氣根氣は氣が後押しであります、迷い氣、邪氣、凶氣は皆、物の疲れた場合に生じます。故に氣のあり方が、生きる身の中心となってきます。この氣の置き所によって、大変な相違が生じてきます。氣が付いて初めて力を出すようなことではいけません。氣構えが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません」
「武産合気は氣の交流を最も尊重する。ナギナミ二尊(伊邪那岐尊、伊邪那美尊)の二柱の尊いごみいずの氣の交流によって、その営みの道によって、この世は固まったといわれている。合気はこのナギナミニ尊の島生み神生みに基礎を置いているのであり、これを始めとしているのである。合氣を志す方には、この神生み島生みをよく学んでいただきたい。自分は島生みの神の法則によって、技を生み出しているのであるから、その技は総てみそぎである」
「氣の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親である。これが武の本源である。氣の妙用によって心身を統一して、合氣道を行ずると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在になる」
開祖の気についての言葉を知りたい方は、『合氣道悟道』を読んでいただくのが一番いいと思うのですが、読めば読むほど、開祖はなんでも「氣」なんだとおっしゃっていて、私には理解が深まるとは感じられないのです。
ここに引用した三つの言葉にしても、最初の宇宙の話はともかく、結論的な「氣構えが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません」は、常識的なことでしょう。
二つ目は「古事記」から。古事記は日本最古の歴史書と言われたりしますが、少なくとも島生み神生みは要するに神々が性交して子供を生みましたという神話です。
「合気はこのナギナミニ尊の島生み神生みに基礎を置いて」いて、これが氣の交流だから学べと言われても、ちょっとなぁと感じてしまいます。民俗学的には、兄妹相姦とされる道祖神の伝承と類似すると言われているそうです。
三つ目は「氣の妙用は、呼吸を微妙に変化させる」ですから興味深いですが、妙用とは? 辞書的には不思議な作用という意味。ただ「気」が分からなければ、その不思議な作用も理解できません。
多様な「気」を俯瞰した書籍『気の妙術』
気とは何かと言い出したら、様々な分野の気が出てきます。開祖のおっしゃった「気」だけでも広範過ぎるのに、他ジャンルの気まで追ってられません。
しかし、かなり広範な気を俯瞰的に扱った、1998年発行の『気の妙術』という本があります。著者は加来耕三氏。合気会の方ですので、当然合気道の気が多くなっていますが、ここまで広くカバーした書籍は他にはないと思われます。
こちらが目次です。広範に知りたい人は、読んでみてください。少なくとも、それぞれの概要を知ることができます。
序章 触れずに人が飛ぶ
第1章 現代と気
第2章 気ブームの発端
第3章 気と中国文明
第4章 気と中国医学
第5章 気と道教
第6章 風水の気
第7章 中国武術の気
第8章 道教の現代的展開――ヒーリング・タオ・システム
第9章 ヨーガと気
第10章 東洋的身体観と武術
第11章 日本的「気」を武術に見る
第12章 気と禅と武術
第13章 養生思想と武術の邂逅
第14章 経絡学説の流入と当身
第15章 気の妙術の体現者=植芝盛平
第16章 神道の気と合気道
ところで序章の「触れずに人が飛ぶ」。著者は「遠当て」を気の作用だと考えられているようです。ああやはり気というと、その手の話に象徴されるのねと思いました。まあ、一般的な印象もこれなのかもしれません。
『気の妙術』では、「触れずに人を飛ばす」でおふたりの合気会本部道場師範の名をあげられています。ひとりは西野皓三師範。そしてもうおひとりは、渡辺信之師範。
著者は合気会本部道場で、実際に渡辺信之師範の稽古を見て「大の大人が木の葉のように翻弄され始めた」とお書きになっています。
渡辺師範の技は合気会の本部道場に行けば、見ることのできるものであって、幽霊やUFOのように再現性のないものではない。
勿論、「ヤラセではないのか?」
そうした思いもあって当然である。
だが、武道の奥儀を極めるべく幾つかの道場に通ってのちに、渡辺師範の合気の技に行き着いた人や、 遥か遠い海外から、"気"の武道を求めてやってきた外国からの入門者にも、師範の「遠当て」は、面白いようにかかった。目の前で、複数の人々が飛ばされてゆくのである。
これがもしヤラセであるなら、その場にいる全員が共謀していることになるが、合気会には百五十万人からの修行者がいる。渡辺師範は合気会にあって、数多いる師範の一人にすぎない。
「遠当て」と書かれているのは気になりますが、その場にいる誰にでもかかるのなら凄いことです。
気で飛ばすことができるとおっしゃる先生でも、弟子以外にかけたという話は、まず聞きません。
「遠当て」は気の妙術なのか
渡辺信之師範のおやりになっていることが「遠当て」で、それが気の妙術なら、気は超能力に近いものになります。
渡辺信之師範は2019年にお亡くなりになっています。
追悼で、「2011年3月26日 渡邉信之師範 本部道場最終稽古」がYouTubeにアップされていました。
「遠当て」はぜんぜん出てこないじゃないかと思いながら見ていたのですが、見ながら「遠当て」なんてどうでもよくなっていました。
その姿勢で、養神館の中心力じゃないけど、中心線に力を凝縮されている。こんなに徹底された強烈な軸は、まずない。めちゃくちゃ効くはずだ。凄いと見惚れていました。
どのような姿勢も一長一短があると思います。
この映像を見るまで渡辺先生の肩を上げ、肩甲骨を寄せた姿勢は、重心線がかなり後ろになり、動くにはそれなりに足を引き上げる筋力を必要とするので、素早く移動できないはずだ。私はそう思っていたのですが、渡辺先生のヘソを前に出して動く姿勢を見ていたら、それが見事に解決されているのです。
いや、この姿勢だから気が通る。強い気が出るのかもしれませんが。
そのうちに、「大の大人が木の葉のように翻弄される」場面が出てきました。
うーんしかし、これはいわゆる感応じゃないか。
渡辺先生の動きは変わらないが、受がその意図を過剰に感じ取って反応しているんじゃないか。
疑うというよりも、言ってみれば暗示や催眠術にかかりやすい人と同じ。こう来たら、こう反応するが回路として刷り込まれていて、無意識に木の葉のようになってしまっているのでは、と感じていました。
これだけの強い軸の方がそばにいたら、それだけかなり圧があると思います。参考になるかどうか、私は稽古で技のときには、瞬間的に強い軸を作るようにします。でも日常生活、特に仕事など対人関係では逆に、意図的に、軸を崩しています。
軸を立てると、それだけ圧迫感を与えると考えているからです。
ましてや渡辺先生のような強烈な強さだと、どうなるでしょうか。
そしたら、えっ!?と驚きました。
なんと知っている人が映っていたのです。
合気会に所属しているのに、上にも書いた私が養神館以前に通っていた団体にも稽古にも来ていて、私よりぜんぜん先輩の人がいたのです。もう20年以上前ですが、私の知る中で最も合気道マニアなひとりだし、私より本気度が強い人です。
師範の説明を受けながらなので、それなりに忖度はあっても、感応しやすいなんてことはないはずです。
もしこの人が木の葉のように翻弄されたら、気の妙術「遠当て」も信じられるんだけどなぁと思って見ていたら、渡辺信之師範の技を複数回受けていたものの、技が効いている一般的な反応でした。
著者が書かれているような、誰でも「木の葉のように翻弄される」現象にはなっていません。
気はともかくとして、渡辺師範の技は僭越ですが、この強固な姿勢は、気があってもなくても、とても強いはずだと感じます。
そこに強い気が加わっていたとしても、過敏な人は過剰に反応する。そうじゃない人には、特別な影響はしないということではないでしょうか。
植芝吉祥丸二代目道主はどうおっしゃったか
『気の妙術』の中では、植芝吉祥丸先生にも取材をされています。
引用します。
うちの父が武道を前面に出しながら、"気"というものを言い出したのは、昭和のはじめの頃のことです。そして、合気というものを悟った頃から、"気"が分からなければ駄目だとしきりといっておりました。
当時、他の武道家は、"気"ということはほとんど誰も口にしていませんでした。こう申し上 げますと、合気の「気」とは何か、ということを当然お考えになるでしょう。あなたの探究テーマもそうでしたね。
合気道の基本精神では"気"を重んじるのですが、この"気"という言葉は、ひと筋縄ではまいりません。一般にに"気"と申しますと、思いつくままに挙げてみれば、空気、大気など微粒子として実体のある、いわゆる気体を意味するもののほかに、生気、活気、元気、反対に病気など といった、生命力の活動をあらわす意味で用いられているものが数多くあります。やる気、根気、勇気などは精神力として表現される生命力の活動をあらわす意味となります。とくに、士気や覇気となると、何やらビジネスマン向け戦陣訓めいてきます。
一方、合気道の"気"は、少なくとも、これらの精神論あるいは処世論でいう"気"よりも、もっと本質的なものを意味しているのです。
"気"については、古くから東洋の思想家たちの諸説を通じて「生命の元素」であるとの見方が大方であった、といってよいでしょう。中国だけでなく、いまから四千年から三千年前のインド思想でも"気"のことをプラーナといい、インド最古の文献でとり上げられ、プラーナ(気)を最高原理のひとつとして扱っております。このプラーナは、もともと「呼吸」という意味で、それが生命活動を支える根源力という定義をもつようになってきたようです。
この"気"(プラーナ)の原意が「呼吸」であること、そして「気」が大宇宙の最高原理であると同時に小宇宙、つまり自我の最高原理に通じるというインドの哲理は、合気道の立場の正しさと同じものといえるかもしれません。
つまりは気と言い出すと、広範な意味があり、簡単には説明できないと。
だから精神論的な意味や古代インド思想との比較することで、合気道の気を浮かび上がらせようとされているのかと思いきや、いきなり結論に急展開します。
そもそも、人間には心と体がありますが、これだけでは不十分なのです。心と体を結んで活動させる力が必要でして、これを"気"であるとするのが、合気道の立場です。
いわゆる気・心・体の三位一体。開祖は哲理の追究には深い関心を持っていましたが、古代インドの哲理は知らなかったでしょう。しかし、長年の心身錬磨と修行によって達した高い境地から、「気の妙用」こそ心身一如、宇宙との一体化の奥義だと悟ったようです。「気の妙用」とは、 "気"を精妙にはたらかせて、心のままに体がはたらくようにすることですが、開祖は、この「気の妙用」を「呼吸の微妙な変化」によって行うものだと看破していたのです。
心と体を結んで活動させる力。これが気だとするのが合気道の立場。
開祖は、「呼吸の微妙な変化」によって気を精妙にはたらかせて、心のままに体がはたらくようにすることが気の妙用だと看破された。
なるほど、明快です。
ただその解釈となると、幅があります。
ここでは心身一如とありますが、身心一如なら仏教の言葉。肉体と精神は一体であり、不可分という意味でしょうか。
肉体と精神が不可分でも、一致するとは限りません。気は肉体と精神をつないで一致させるもの、という方向で解釈すれば、「意」に近くなるかもしれません。
「呼吸の微妙な変化」の呼吸とは、呼吸力の呼吸ではないようです。息ということのようですが、それなら自律訓練法など一種の自己催眠の方法とも近いのかもしれません。
呼吸法や行法と気の関係
『続 植芝盛平と合気道』では多田宏先生が、インタビューにこう答えられています。
多田宏先生は、1950年に入門されています。
私が入門した当時、本部道場で稽古を行っている人は、だいたい天風会か、西会の人でした。といっても、全部で六、七人しかいませんでしたが。
(中略)
その有作さんが天風会と一九会に連れていってくれたんです。その後また別の人に断食行を教えられました。植芝盛平先生の教えと、この三つの行が私の稽古の基本となりました。
多田宏先生が入門されたことの合気会本部道場では、六、七人が稽古。それがほぼ天風会か西会の人でしたとあります。
西会とは、最初に書いた西式健康法の会ということです。
その後、天風会と一九会を始められたとのことですが、一九会とは激しい行を行う禊の会です。そして天風会。
合気道で行われている行法、例えば振り魂であるとか鳥船は、植芝盛平先生が大本教から取り入れられたと思われますが、その他の行は、一九会からのものではないかと考えられます。一九会は仏教の禅と神道の禊の行法を行なっているそうです。
もちろん天風会で行われているヨーガを元にした行法もありますが、合気道では一般的ではないでしょう。
私自身、あれは一九会のものだろうなと思われる行法をやったことがあります。
先に書いた私が養神館以前に通っていた団体では、振魂と鳥船をやっていましたし、毎年特別な稽古として一月の上旬に三日間行う呼吸の行があったのです。どんなものなのかやってみようと思い、指導者に聞いたところ「1時間近く、スーハーやっているだけだぞ」と言われました。
当時、少なくとも10以上の道場がありましたが、参加者は3、4人だけ。確かにスーハーやっているだけでした。私は二年間参加しただけですが、鈍いのか、変化は何も感じられませんでした。窓は全開で、上半身裸になって正座でしたから、辛さはしっかり記憶にあります(笑)
どの行法も養神館とは無縁ですが、行われている流派や団体は、少なからずあるでしょう。
以前、振魂と鳥船については、Twitterのアンケート機能を使って聞いた時には、60人が答えてくれたのですが、こんな割合でした。
あくまで60人の回答ですしバイアスも強いはずですが、毎回やっているが40%で、まったくやらない・聞いたこともないが合計45%なので、両極に別れているのが現状かもしれません。
これらの、いわゆる行法以上に、合気道にとって影響が大きいだろうと思われるのが、天風会の心身統一法です。
先ほど引用させていただいた多田宏先生のインタビューによると、植芝盛平先生と中村天風氏は、阿部正さんのお父さんの紹介で一度会っている。阿部正さんのお父さんは両方のお弟子だったそうです。ということは、植芝盛平先生が門人に天風会で学ぶことを薦めたわけではなさそうです。
ですから、開祖の合気道に特別影響があったわけではなく、門人の先生方の多くに、天風会の影響があったと解釈できます。
ちなみに阿部正師範は、戦後間もない荒廃した時代にヤクザの親分を肥溜めに投げ込んだり(『戦後合気道群雄伝』)、フランスの外人部隊を教えたり(『武闘伝』)された、合気道史上最も荒っぽい先生だと思われます。
その阿部先生が「今あるのは、植芝盛平先生と中村天風先生のおかげだ」とおっしゃったそうです。
中村天風の影響
行法や呼吸法が、気とどう関係するのか。これも言い出すとキリがないですが、気・心・体の三位一体なら、心・体も鍛えなければ、気も使えないということになりそうです。
植芝盛平先生の直弟子の方々の多くに影響を与えた、中村天風氏。その略歴を、Amazonから抜粋します。
1904年(明治37年)、日露戦争の軍事探偵として満州で活躍。帰国後、当時死病であった奔馬性肺結核を発病したことから人生を深く考え、真理を求めて欧米を遍歴する。その帰路、ヒマラヤの麓でヨガの聖者カリアッパ師の指導を受け、病を克服。
帰国後は実業界で活躍するも、1919年(大正8年)、突如感ずるところがあり、社会的地位、財産を放棄し、「心身統一法」として、真に生甲斐のある人生を活きるための実践哲学についての講演活動を始める。
軍事探偵とは、スパイのこと。そこは塩田剛三先生と同じですね。
その心身統一法がどんなものであるのか、天風会のウェブサイトから説明を抜粋します。
「心身統一法」とは「天風哲学」と呼ばれる宇宙観、生命観、人生観をバックグラウンドにして組み立てられたもので、“いのちの力”を充分に発揮するための中村天風オリジナルの理論と実践論です。
もう詳しくはリンク先のページに書いてありますが、心の鍛錬は暗示法、体を鍛える運動法、他はヨガの呼吸法などが中心のようです。
私は『錬身抄』を読んだことがありますが、数多くの呼吸法が載っているものの、まあでもこれを読んで理解できる人はまずいないでしょう。文字だけの概要ですから、詳細は不明ですし、注意すべき点もありません。出版は1949年ということですから、その当時、呼吸法的なものは、それこそ宗教系のものしかなかったかもしれません。
現在は呼吸法の情報があふれています。もちろん玉石混交だと思いますが、それでも文字だけで読んで分かるようなものは、まずないと思われます。
また中村天風本といえば、たぶん弟子の方々による成功哲学が中心で、自己啓発ジャンルになるでしょう。細かいところは分からないものの、自己啓発ジャンルとしてなら『錬身抄』は修行色が強いのです。
「氣の錬磨」と以心伝心のテレパシー
多田宏先生の系列道場「多田塾」の稽古では、「氣の錬磨」と呼ばれる呼吸法や瞑想法があり、準備体操前にはこの呼吸法から入るそうです。この「氣の錬磨」が中村天風氏の影響だとされるのですが、
書籍等で読んだ記憶がないよなぁと思い、検索してみたら、これがありました。
多田宏先生ご自身が、天風会のウェブサイトで対談されていました。天風会設立100周年記念のスペシャルインタビューということです。
それによると、昭和35年に早稲田大学に合気道会ができたとき、天風先生から「直ぐやってみろ」と言われ「以心伝心」の基本練習をやり、今でも全ての道場で必ず行っております。
「以心伝心の稽古」はヨーロッパ、イタリア、スイス、パリ等でも行っていて、イタリアでは「氣の錬磨」としてすでに50年以上経っているとあります。
そしてそれは、テレパシーだと・・・
テレパシーの稽古として行なっている「以心伝心」であり、「氣の錬磨」であると。
以心伝心と言われると、何となくあるかなと思えてきますが、それは日本人的に解釈すれば阿吽の呼吸的なもの。日本人的にと書きましたが、中高年には仕事上でも求められる感覚であったと思いますが、若者にはどうでしょうか。
たとえば餅つきは、現実的に阿吽の呼吸じゃなければケガをしてしまいます。ただそれは、テレパシーではなく、視覚を中心とするものの全身の感覚からくるタイミングの同期。
現在、コロナ以前でも、餅つきをやっているところはとても少なく、以心伝心も阿吽の呼吸も「空気読め」や「忖度」に取って代わられていそうです。
いずれにせよ「氣の錬磨」がテレパシーの稽古であることは、かなりの驚きです。
それも天風会で、少なくとも現在ではテレパシーとしてやっていなさそうなのに、「多田塾」ではテレパシーの稽古としてやっているということなので、衝撃的な内容です。
合気道、天風哲学、神道
多田宏先生と同様に、植芝盛平開祖に合気道を学ぶ、中村天風にその哲学を教わった方に、佐々木将人先生がいらっしゃいます。
『気の妙術』で、佐々木将人師範を取材されています。まずその紹介文を引用します。
昭和二十九年、合気道開祖 植芝盛平翁に出会い、その風貌に霊感を受けるがごとく、合気道に入門。以来、四十年に渡り、合気道の研鑽に励んでいる。
そうした修行の途上で、氏は心身統一法の哲人・中村天風師に出会い、師事。
また、不思議な縁を得て山蔭神道の中興の祖である、山蔭基央師と邂逅し、のちに山蔭神道の宮司となる。氏が名刀・虎徹を振るう神事の剣祓いは、つとに知られる。
合気道に天風会だけではなく、神道の宮司でもある立場からは、天風哲学やその行法をどう捉えられているのか、興味深いところです。
引用します。
天風先生に「死とは何でしょう」と尋ねると、
「この世の中に死んだ人など一人も居ない」
とおっしゃる。これには驚きました。
「目の前で死んだ人がいるんですが......」
恐れながらという感じで反論すると、「じゃあ、お前、そいつを連れてこい。人間はな、死ぬまで生きているんだ。死は死んでから考えても遅くはない」
この一言で、私は迷いが醒めた。
絶対に変わらない自己というものが、現象の背後に存在する。天風先生の教えとはその変わらない自己である「真我」を悟れということだ。禅でいう、父母未生の本面目を知れというのも、 同じこと。
"気"は宇宙の根本、大本のエネルギーであって、見えず、聞こえず、触れえない。人間の感覚では捕らえられないもの。
しかし、現象は、すべて"気"でできていて、人間の心と体は現象として変化する。 変化するということは、心と体はどちらも「真我」ではない。心と体は本当の自分ではなく、心と体はその自分の「道具」である。
道具であるところの心と体に、本当の自分が使役されてしまうのが「迷い」であり、道具としての心と体の働きを弁えているということが「悟り」である。本来の働きが「使命」であり、これを神道の用語でいえば "ミコトモチ”となる。手は手の働きがあり、頭には頭の働きがあり、心には心の働きがある。
引用した前半は、半端なく明るく前向きな死生観です。
中村天風氏が、稀有な存在の思想家だったことをうかがわせます。
しかし後半の気についてが、どこから来たものかが分かりません。察するに佐々木将人先生の中では、植芝盛平先生から学んだ気も、中村天風氏から学んだ気も、神道家として考える気も、矛盾なく一体化しているのではないかと思われます。
「現象は、すべて"気"でできている」「心と体はどちらも真我ではない。心と体は本当の自分ではなく心と体はその自分の道具である」とおっしゃっています。気を魂と置き換えれば、理解しやすいかもしれません。
神道的な言い方をすれば、心と体は、いわば依代だとおっしゃっていると、私は解釈しました。
「現象は、すべて"気"でできている」が真と考えるなら、開祖の気についての遺訓を読んだ私が「開祖はなんでも氣なんだ。これじゃ理解が進まない」と思ったのも無理ないはずです。
にしても合気道、天風会という共通するバックボーンを持たれている多田宏先生と佐々木将人先生ですが、気についておっしゃっていることの印象が、それなりに違います。
そしてもっと違うのが藤平光一先生です。
心が体を動かす心身統一法
氣の研究会を設立され、氣に関する著作も多い藤平光一先生。
数ある著作の中でも、そのままズバリのタイトル『中村天風と植芝盛平』があります。この本の、中村天風氏との出会いから合気道がどう変わったかを述べられている部分を引用します。
終戦を迎え、日本に帰ってくると、私はすぐに植芝道場へ顔を出した。
戦地で天地の理というものを会得したとはいえ、あいかわらず植芝盛平先生には、ものすごい力を感じていた。なぜなら私がいくら、植芝先生に技をかけようとしても微動だにしない。ところが、ほかの弟子はみんな、私が技をかけると簡単にかかる。いったい、この違いはどこからくるのだろうか?
私は戦場で、天地の理ということを会得してきた。だが、それでもなお植芝先生の領域には達していないのだろうか? だとしたらなぜ?
いくら一所懸命に考えてもわからない。ある程度まで合氣道ができるようになったとはいえ、最後の壁がどうしても超えられないのだ。
そんなときに、中村天風氏と出会います。
当日、植芝先生の息子である吉祥丸氏を誘い、阿部正君の案内で小石川の天風先生の自宅に伺った。そこでいろいろと話を聞いた私はその場で即決し、先生に入門することにした。それからは音羽の護国寺の道場にも通うようになった。(中略)
植芝先生より年上だから、当時、すでに七十歳は過ぎていた。かたや私は戦地から帰ったのが二十五歳くらいだったから、父親というよりも祖父に近い年齢差だった。だが、そんな年齢差は感じさせない大きな人柄だった。
そして、決め手は、天風先生が私に、はっきりとこうおっしゃったことである。
「心が身体を動かしているんだ」からだ
そのとき私は、はっと気がついた。まさに「あっ! そうか」という感じだった。 それまで心が身体を動かすだとか心身統一だとかいう言葉は、まったく聞いたこともなかった。
その意味では、中村天風先生こそがパイオニアである。
それまでは、植芝先生がやると効くのに、私がやるとまったく効かない技がたくさんあった。このため疑心暗鬼にかられ、自分がやっていることが本当にすごいものなのかどう かさえわからなくなってくる。
しかし「心が身体を動かす」と聞いた瞬間、あっと思った。私はそんなに大切なことを 忘れていたのか、と気がついたのだ。
植芝先生は相手の氣を導き、さらに身体を導いていた。その結果、技も効くということになる。それを称して「氣を合わせる」と言ったのだ。
その場合、こちらも完全に力を抜いていなければ、相手の気持ちもわからない。 完全にリラックスしなくてはいけないというのは、相手の氣を導き、動きに変えるための準備なのだ。
そのためには相手の氣を尊ばなければならない。氣を間違った方向には導けないのだから、だまして導くわけにもいかない。
逆にいえば、正しければ、いつでもできるはずということになる。 天地の理に合わせれば、必ずできるはずだし、できないときは、どこか天地の理が間違っているということに気がつかなければいけない。
そこに気づいてからというものの、先生の教えが全部わかってきた。
「心が身体を動かす」と中村天風氏に教えられ、そのことに気がついてから、植芝盛平先生の教えが全部わかってきたという藤平光一先生。
「心が身体を動かす」とは、同じく天風会で学ばれた多田宏先生や佐々木将人先生の言葉の中には出てきません。
また「心が身体を」なら、「心と体を結んで活動させる力。これが気だとするのが合気道の立場」とする植芝吉祥丸先生ともニュアンスが異なります。
ここでは藤平光一先生が「心が身体を動かす」を再認識されてからの考え方の広がりだけで、他の先生方とは異なっていることが確認できます。
また天風会の心身統一法の基本的な考え方が「心が身体を動かす」だったとしても、具体的な方法となると、藤平光一先生がお作りになった心身統一合気道での方法とはかなり異なっているようです。
そして藤平光一先生は、気に関してもかなり独自の解釈です。
中心から八方への広がりを表す「氣」
ここまで書いてきた文章に、気と氣の文字が混在していることに気がついて「統一しろ!」と思われた方もいらっしゃるでしょう。混在は、意図的でした。
私が勝手に書いたところでは気の文字を使い、引用では元の文章に忠実にしました。自著で氣と書かれているのは、砂泊諴秀先生です。そして藤平光一先生は、必ず氣を使われています。
その理由を藤平光一先生の著書『氣の威力』から引用します。
私は絶対に「気」とは書かない漢字で「氣」と書くことにしている。というのもこのほうが氣の正しい意味を伝えることができると思うからだ。
(中略)
「米」の形をよく見ていただければ、中心から八方に広がっている状態を表しているの がすぐおわかりだろう。つまり、天体のように八方に無限に広がって出て行くもの、これが「氣」という意味であり、氣とは出すものなのである。ところが、常用漢字では、なかに「メ」を使って「気」と書く。「メ」とは締めるという意味だ。これでは、気を内側に閉じ込めてしまう意味になってしまう。古くから中国では、「氣」が一方に出れば、他方が少なくなる、と考えた。だから、できるだけを自分のほうに引っぱって、出口を締めておいたほうがいいということになる。したがって、「メ」という字を使った。 「氣」という字を「気」と書くのは、そうした中国の考え方に影響を受けたためである。
しかし、もともとはためるものではない。氣は出すから入ってくるのである。天地(宇宙)の氣と人間の氣が交流することを「息」というが、息が一時的にとだえれば氣絶する。永久にとだえてしまえば死ぬ。つまり天地の氣と人間の氣の交流が止まったときが死なのである。
納得感は高いものの、あまりに象形文字的なイメージを言われてもなあと、私は思ってしまいます。
ともあれ「氣」の文字が、藤平光一先生の氣の世界観の象徴であると言えるでしょう。
さらに『氣の威力』から引用します。
合氣道とは、氣に合する道と書く。これを「人の気に合わせる道」などと解釈するから、誤解されるのである。合氣道とは、「天地の氣に合する道」でなければならない。天地の氣に合するためには、まず何よりも天地から与えられた心と体を統一することである。この心身の統一を土台にしてこそ、本当の合氣道たり得るのだ。
したがって、合氣道の目的とは、その技を通じて天地の氣を体得し、人間が本来もっているすばらしい力をみがいて、輝かしい、健康な人生を歩むことにある。私が氣の原理にもとづく真の合氣道、「心身統一合氣道」を創立したゆえんも、じつはそこにある。
「人の気に合わせる道」か「天地の氣に合する道」か二択だと言われたら、それはまず「天地の氣に合する」ことだと思います。
あくまで私の解釈ですが、重力と調和して立つことが、何より合気道の前提です。でも技そのものはタイミングとしても力の方向にしても、「人の気に合わせる」ことが必要です。だから、そんな二択は意味がなく、両方必要だと思います。
しかし藤平光一先生は、それが氣の原理に基づく真の合氣道だとおっしゃっています。
藤平光一先生は独自の価値観で、心身統一合気道の世界を構築されます。そこでは技法は類似しているものの、師範部長を務められていた合気会とは異なった方向に向かいます。
藤平光一先生の「氣」の定義
それでは藤平光一先生の考えられる「氣」とは、どんなものでしょうか。
定義は、飛び抜けて明確です。
著書『気の呼吸法』から引用します。
人間のみならず、形あるものは、必ずその始まりがあるはずです。 太陽を例にとってみましょう。現在、太陽は燃えていると言います。
燃えているからには、燃え始めがあったわけです。
さらにその前は、燃え始める前があったわけです。
すべての物体の起源をたどれば、目には見えませんが、何かがあった状態から生まれてきたと言うほかありません。
これを禅では「無」と言いますが、禅の無も、ただ何もないという意味ではなく、「何もないが、何かあった状態」を指しています。
そう考えれば、人間の心も身体も、太陽も、星も、地球も、動物も、木一草に至るまですべて、目には見えない何かから生じたものということになります。
つまり、無限に小なるものから生じてきたということです。その無限に小なるものの無限の集まりを総称して、私は「氣」と言っています。
“無限に小なるものの無限の集まりを総称して、私は「氣」と言っています”ですから、明確です。
この後にも、“無限に小なるものの無限の集まりを総称して、天地自然の「氣」というのです”と続きますので、万物を構成する最小要素。そしてその無限の集まりが「氣」だとおっしゃっています。
となると、おっしゃっている「氣」は、素粒子とほぼイコールだと考えられます。
禅の「無」、般若心経の「色即是空空即是色」と量子論との類似性はあちこちで語られています。藤平光一先生の「氣」の捉え方は、それらの影響をうかがわせます。
たぶん、時代的にも間違いないでしょう。
仮に氣は素粒子、そしてその集まりであると考えるなら、もしかしたら植芝盛平先生のおっしゃることも、植芝吉祥丸先生のおっしゃることも、多田宏先生や佐々木将人先生のおっしゃることも、包括して説明できてしまうのかもしれません。
素粒子と色即是空空即是色の世界観
素粒子って何なのか?
勝手に解説せず、アカデミックなところの分かりやすい説明はないかと探したら、ありました。千葉大学ハドロン宇宙国際研究センターのウェブサイトです。
素粒子の一つ、ニュートリノを解説したページですが、素粒子全体についても簡潔に書かれています。
素粒子について知りたい方は、上記のリンクから飛んでみてください。これほど分かりやすいサイトは他にないと思います。
素粒子とは、物質を究極までバラバラにすると現れる要素です。物を構成する一番小さい単位のことで、たとえば、皆さんの身体も、着ている服も、その手に持っているお菓子も、いつも飲んでいる水も、みんなみんな素粒子の集まりです。
さらにニュートリノは「+の電気もーの電気も帯びておらず、他の物質とぶつかっても影響しない」「原子の中も通り抜けることのできる、まるで幽霊かお化けのような粒子」「1秒間に約100兆個のニュートリノが私たちの体を通り抜けているのです」ともあります。
つまり把握しておきたいのは、物質を究極までバラバラにすると現れる素粒子。その極微の世界を見ると、ゆるゆるな空間があるということです。
物質なのに、実体がない? ある?
それは「色即是空空即是色」と同じ世界観じゃないか、という驚きの声があったのです。「色即是空空即是色」を簡単にいえば、「あるようでない、ないようである」でいいかと思います。
般若心経を使用する仏教各派で、こういう解釈があるかどうかは知りませんが、特にニューサイエンスと呼ばれるジャンルの人たちから、上がっていたと思います。
そしてこの極微の世界は、ニュートン力学ではなく、量子論の確率論でしか記述できないそうです。
量子論についての詳しいところは、自然科学、物理学の進展と神扱いをテーマにした『物理学と神』というロングセラーが分かりやすいと思います。
藤平光一先生の「無限に小なるものから生じてきた」は、量子論による宇宙の始まりについての議論とも酷似しています。
『物理学と神』には、こうあります。
ともあれ、量子論は大成功をおさめた。現在の私たちは、量子論が明らかにした法則の下で動くIT機器に取り巻かれているし、原子より極微の素粒子世界にも量子論が貫徹していることがわかってきた。 悪魔は失業してしまったのだろうか。
ニュートン力学からすれば、まるで超常現象かと思えるようなことが起こる量子論。
量子コンピュータははいまだ実用段階ではないようですが、Googleは今年2021年5月、量子コンピュータに関するロードマップを発表し、「2029年までに100万量子ビットを搭載した誤り訂正ができる量子コンピューターを開発する」としたそうですから、すぐそこにやってくる現実です。
野村総研のウェブサイトで用語解説の量子コンピュータには、こうあります。
量子コンピュータとは、「量子重ね合わせ」や「量子もつれ」といった量子力学の現象を利用して並列計算を実現するコンピュータです。従来型のコンピュータでは答えの導出に膨大な時間を要する問題でも、量子コンピュータでは短い時間で解けるようになる可能性があるため、さまざまな分野での活用が期待されています。
「量子重ね合わせ」や「量子もつれ」といった量子力学の現象とは、何でしょうか?
知りたい方は、『量子のからみあう宇宙』を読んでみてください。専門家でも完全に理解している人は少ないと書いているほど難解です(笑) ただ読みやすい本ではあると思います。
しかし量子論については、藤平光一先生の考えられる「氣」の説明から、私が勝手に「関連あるのかも」と拡大解釈しただけですので、まったく的外れかもしれません。
中村天風氏の影響についてに戻ります。
藤平光一先生の著書『中村天風と植芝盛平』には、金縛りの技についての記述があります。
鶏を止める氣による金縛り
中村天風氏の沼津での講習会に、藤平光一先生が同行されたときのエピソードです。
天風先生が会場で、「藤平、今日は鶏の一番強いの荒いのを連れてこい」と言う。
私はすぐに、ああ、あれをやるんだなとわかった。 鶏というやつは、一番暗示にかかりにくい動物だと天風先生は言われていた。それなのに先生は、よりによって「一番氣の荒いやつを連れてこい」と言うのである。
店の主人が、それならちょうどいい鶏がいる、ということで、私を一羽のシャモの小屋に連れていった。もともと喧嘩専門ので、気が荒く、目を離すとすぐにほかの鶏を傷つけるというので、隔離してあるほどのヤツだった。
私は、ああ、店主もよけいなことを、と思った。そんな鶏を相手に、もし私に連れてこいと言われても自信などない。普通の鶏ならばともかく、よりによってそんな気の荒いヤツを選ばなくてもいいのに・・・
しかし、こうなってはもう仕方がない。私は、その鶏を受け取りにいった。聞きしにまさるの強さで、たちまちトサカを立てて私のほうへ向かってくる。とっさに、その場で天風先生のまねました。ぐいっと氣を当てると、なんと、その鶏がぴたりと止まってしまったのだ。
手で持っても、そのままの姿勢でいる。こうなるとおとなしいものだ。 何だ、鶏は暗示にかかりにくいと言うが、簡単じゃないか・・・ 私は多少、拍子抜けしてしまった。
ところが、そのまま先生のところに持っていったのでは、みんなに死んだ鶏じゃないか と疑われる。そこで足をわしづかみにしたまま、鶏の体を突つくと、はっと目が覚めたようにばたばたと羽ばたいて暴れだした。
会場にいくと天風先生が、にやりと笑った。
「これはまた、ずいぶんひどいのを連れてきたな」と、顔に書いてあった。しかし先生は自信満々に鶏を受け取ると、「えいっ」とやって、びたりとその動きを止めた。案の定、みんなはわあーと大騒ぎだった。
「ぐいっと氣を当てると、なんと、その鶏がぴたりと止まってしまった」とありますが、「氣」を当てる? それなら「氣」は超能力なんでしょうか?
これは、いわゆる金縛りという技だった。
それまで私は、特別にかかりにくい鶏を、先生はいとも簡単にやってしまう、やっぱり先生には特別な力があるんだな、と思っていた。
ところが実は、そうではなかったのだ。本当は鶏こそ、一番暗示にかかりやすいのである。それなのに先生は「一番暗示にかかりにくい」と言う。そして、それを誰も疑わなか った。それもそのはずで、こんなことは先生以外にはできる人はいなかったし、やってみ ようと考える者さえいなかったのだから。
それはまさに天風先生だけにできることだった。ところが、私もやってみたらそれができてしまった。さらに言えば、今では、私の弟子たちでもできる。
それは、私が天風先生とは逆に、弟子たちに「鶏相手になら何でもできる。なにしろあれは、暗示にかかりやすいんだ」と、正直に話してしまうせいかもしれない。
もちろん、 天風先生も、そんなことは百も承知だったのである。ところが天風先生には そういうことを楽しむという茶目っ気があった。
(中略)
私は田舎に帰ったときに、 ネズミを相手にやってみたことがあるのだが、まるでかから なかった。猫もダメだ。
よく、昔の剣豪がネズミをぐっとにらんで動きを止めたとかいうが、あれは嘘なんだな ということがわかった。やはり、できることとできないことがある。
ところが世間の人々は、氣にはそういうオールマイティーな、超能力のような万能の力 があると勘違いしている(というより、願っている)。
鶏は暗示にかかりやすい? ぐいっと氣を当てるのが暗示?
とにかく藤平光一先生は、「氣は超能力ではない」ことを明言されています。そして付け加えれば、超能力であることを願っている人たちの存在も。
それにしても氣を当てて暗示にかけるとは、どういう状態なんでしょうか。
氣が出ていると考えるだけいい?
藤平光一先生がお作りになった心身統一の四大原則の四番目は、「氣を出す」です。そして氣を出すには「氣が出ている」と考えるだけでいいと、いろんな書籍でお書きになっています。
もう少し詳しくは、「合気道の力を抜くって? を具体的に探っていくと」でも同じところを引用しましたが、『氣の威力』に、氣のテストとして「折れない腕」が出ています。
「氣が出ている」という考えを途中で捨てたり、右腕に力を入れようとしたら、とたんに曲げられてしまう。消防ポンプのホースから水が勢いよく出ているときに、ホースを曲げようと思ってもできないだろう。同じように、指先から出ている氣に任せきって、腕の力を完全に抜いていると、腕は曲げられなくなるのである。氣は実在するものであり、心で「氣が出ている」と考えるだけで、実際に心の力、つまり氣がほとばしり出て、あなたの腕をより強力にする。これが心身統一のパワーである。
普通に考えれば、いやいや骨格的な要素は? と言いたくなりますが、心身統一の四大原則には「三. 心身の総ての部分の重みを、その最下部に置く」もありますので、当然、肩が下がり、肘も下を向いた状態であるはずです。
「心の力で氣がほとばしり出る」ですから、身体操作的なことも、心に従っていれば、当たり前にそうなるという解釈なのだと思います。
また心の力は「ホースから水が勢いよく出ている」との表現もあるように、氣がほとばしり出ている状態をイメージする力なのだと思います。そして考えを途中で捨ててはいけないのですから、疑いなく信じ込む力だということでしょう。
実際に複雑な動きになればなるほど、自分の動いている様子をイメージできなければ、なかなか動けません。
上手な人の動きを見て、イメージトレーニングするのが第一段階かもしれません。バレエスタジオが鏡張りなのも、自分の姿を鏡でフィードバックしないと動きの微調整ができないからかもしれません。鏡に写したり映像で見たりする前に、自分の動いている姿を完全にイメージすることは、かなり困難なはずです。
だからたぶん、藤平光一先生はそのような細かな動きをおっしゃっているのではない。もっと根源的な力のことをおっしゃっている。と解釈すれば、上の方に書いた、植芝吉祥丸先生がおっしゃっていることと、ほとんど同じになります。
しかし氣を出すのは心の力で、それはイメージの使い方だとすれば、氣は比喩的な表現だとも言えるでしょう。
他のジャンルの気まで扱ってられないと書いましたが、イメージコントロールを用いる中国武術「意拳」を取り上げます。
意拳の意は精神のイメージ
意拳とは、稀代の名人といわれた形意拳の郭雲深に、幼少の頃より武術を学んだ王向斉が1920年代に創始した拳法。別名、大成拳。中国武術で内家拳と呼ばれるものは、気を練り内功を養うことが特徴。ここでいう気を練るとは、気功法だと考えて差し支えないと思います。
『意拳入門』という書籍の「意拳とは何か」から抜粋して引用します。
意拳の調練は站樁からスタートし、まず内臓、骨、筋、気、筋肉の緩、緊を鍛錬する。
意拳の意は、精神のイメージの意味である。主に拳法訓練の中にイメージコントロールを主動的な役割として用いることを強調する。
人間のすべての行動は、頭の中の考え(脳)によって動いている。意拳はこの原理にしたがって鍛錬するのである。さまざまな特定のイメージによる訓練だといえる。 現在欧米ではイメージ療法によって病気を治療することが非常に多く、イメージの研究と人体開発は世界の潮流になっている。意拳はイメージと身体の動きをうまく結びつけて、力を掘り起こし、自己の能力開発をはかることを目的としている。
站樁(タントウ)には様々な種類がありますが、日本では立禅と呼ばれることが多いです。これによって「内臓、骨、筋、気、筋肉の緩、緊を鍛錬する」とありますが、ここには気と明記されています。
ところが近年、意拳では「あまり気という言葉は使わず、意と言う」ということを聞いたり読んだりします。
理由までは分かりませんが、意ならここに書いてあるように「精神のイメージの意味である。主に拳法訓練の中にイメージコントロールを主動的な役割として用いることを強調する」ですから、かなり明快です。
つまり身体を動かすのは、イメージの力。さまざまな站樁では、舞台設定のように自分のいる状況自体をイメージコントロールを用いているといえます。
さらに引用すると、
練功時は自然呼吸だけで、意守丹田は用いない。気の走行、小周天の循環を重視しない。そのため中国のその他の門派の站椿および気功とは異なる。
とあります。簡単にいえば、気を巡らせてはいない。気功としてやっていないということでしょう。
ところで日中戦争の数年前、軍の任務で中国に渡りながら、王向斉に立ち合いを求めたとんでもない日本人がいます。何度挑戦しても敗れ、入門を決意。外国人の弟子はとらないと門前払いした王向斉も、連日参じてて懇願され、入門を許可。帰国後「太氣至誠拳法(太氣拳)」を創設されたのが、澤井健一先生です。
澤井健一先生の、面白いエピソードが書かれた本があります。
松田隆智先生の『謎の拳法を求めて』です。引用します。
中国拳法のことを、初めて知ったのは十七歳の時であった。
夏休みに空手武者修行のために上京して、目白の大山師範のお宅の庭で、朝の練習をすませてから、大山師範にたのまれて留守番をしていると、五十歳前後の紳士が訪ねて来られた。その紳士は「大山君いるか?」とたずね、僕が「お留守です」と答えると「私は沢井健一という者だが、君は空手をやっているの?」 「ハイ、少し」
すると、その人はすべて自分が初めて聞く、信じられないような話をされたのである。
「君、私は中国に十六年間も滞在していたが、その間に王向斉という拳法の名人に会って、大成拳という拳法を十一年間も学んで来たんだよ。
その拳法は空手と違って、気で打つんだョ、気でね。信じられんだろう? そうだろうな、私だって初めは信じられなかった。
中国へ渡る前に私は剣道も柔道も五段でね、その王先生に気で打つ拳法の話を聞いた時は、まったく信じられなかったから、挑戦してみたんだよ、君。エー、そうすると驚いた ねえ、アッという間にやっつけられてしまったんだよ。くやしいからね、何度もかかって行ったんだよ。しかしまったく子供あつかいにされてねェ、それで入門したんだ」
松田隆智先生が17歳なら、計算すると1995年のこと。一般家庭に、家庭電化製品が普及し始めたころのようです。
あまりに面白くて色々書きたくなりますが、ここでポイントは、澤井健一先生が「気で打つ」とおっしゃっていることです。意拳を元にした太気拳は、気の拳法と呼ばれたりします。元の意拳は、どのあたりから気の扱いが縮小し、意を重視するようになったのでしょうか。
気とはバランスの結集だと塩田剛三先生
最後に塩田剛三先生がどうおっしゃっていたかを、『合気道修行』から引用します。
合気道では、気という言葉をよく使います。この頃では、皆さんなにかというとすぐに気を持ち出して、神秘的にしてしまうのですが、合気道でいう気とは、触れずに人を投げ飛ばすといったものとは、ちょっと違うのです。
私は、気とは"バランスの結集〟だと考えています。正しい姿勢と呼吸、それに集中力から生まれる爆発力。中心線の力もそうだし、タイミングも 気の中に入れていいと思います。
つまり、合気道では、自分と相手の間で生じるすべてのことを、気としてとらえているのです。気を合わせるというのはつまりそういうことで、単に気持ちの問題だけではなく、すべての要素を一致させるということなのです。
気を合わせることによって発揮される力が呼吸力だと言ってもいいでしよう。
相手と気が通じるという感覚は確かにあります。たとえば相手につかまれたとき、うまくやればこれが離れなくなる。見ているほうは、なんださっさと離せばいいのにと思うのですが、相手の気持ちをうまく把握することによって、勝手につかんだままでいてくれるようになるのです。
長々と書いてきましたが、個人的には、塩田剛三先生の説明だけで、なんの過不足もなく納得です。
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