緊急事態宣言が解除され、休止していた合気道の体験を再開したところ、体験のお申し込みをいただくことが増えてきました。
男性が合気道をやりたい理由はさまざまですが、女性が合気道に興味を持つ理由は、なんと圧倒的に、男性に襲われても大丈夫かどうか、です。
精晟会渋谷が特殊なのかもしれませんが、道場を始めた頃は、ほとんどの女性が「男をやっつけたい」「やっつけられるか」が関心事でした。以前にもブログに書いています。
その後、徐々に少なくなってきたのですが、コロナ禍の緊急事態宣言で休止していた合気道の体験を再開した途端、また数年前に精晟会渋谷を立ち上げたころに逆戻りしたかのようです。
小田急線や京王線や新幹線など、車両内での事件が続いていますし、刃物を振り回す事件も増えているようです。コロナの影響などで、社会全体の不安感やストレスは増大しているでしょう。もしかするとそれが、弱い女性への暴力として向かっているのかもしれません。
「男をやっつけたい」「やっつけられるか」と言われると、「無理だと思った方がいい」と答えるようになっていました。かつては「やっつけるのは難しい」とだけ答えていたので、ちょっとした意識の変化があります。
いずれにせよ切実な要望であればあるほど、無責任には答えられません。
合気道をやってみたい理由が、運動不足解消とか、武道をやってみたいけど合気道ならできるかな、的な動機なら、ぜんぜんOK。気が楽なのですが。
少し前のClubhouseのルームで、そんなテーマになり、うちは体験の女性の多くが切実な要望を持ってるんだけど、私は「やっつけるのは難しい」「無理だと思った方がいい」と答えていると言ったところ、養神館の女性の指導者から「セガワさ〜ん」と呆れたように返されました。
たぶん合気道を否定している、とまでは行かなくても、それを言っちゃお終いでしょうという反応なのかもしれません。
私はそう感じたので「いや今合気道の扱いは、どんどんスピリチュアルとか超能力っぽくなっていて、稽古しなくても鍛えなくても、不思議な技で投げられると思ってる人が増えてる気がするのよ。出来もしないことを出来ると信じてたら、むしろ危ないし」と答えました。
女性に限らず、男性だって同じだと思いますが、出来ることと出来ないことを区別しておかないと。出来ることでも、どの程度出来るのかを理解しておかないと。
植芝盛平先生や塩田剛三先生が万能だったとしても、私たちが万能であるはずがありません。
どうして「無理だと思った方がいい」と言うのかといえば、無理だと認識することが出発点だと考えるようになったのです。
合気道はどこまで行っても理合の稽古
合気道の体験で切実に求められたらこの手の話題にも答えますが、合気道の道場でやっていることは、理合の稽古です。現実のトラブルに対応する方法を、稽古しているわけではありません。
話すのは、めんどくさいです。前提とか認識がぜんぜん違うから、誤解を生まないように伝えようとすると話が長くなります。しかも話すことは、うちではそんなこと無理です。本気でやっつけたいなら、他に行った方がという結論なんですから。
めんどくさいなと思いながらも答えて、それなりに考えて書いた記事があります。新幹線で鉈とナイフを振り回した凄惨な事件がきっかけでした。
そう合気道では、剣や杖、短刀を使った稽古もありますが、これらはいわばシミュレーション。現実ではありません。
理合を単純化して言うなら理屈。こうすれば、こうなるという理屈です。木刀でもかなり危険ですが、それが刃物だったら同じように出来るでしょうか。怯まず固まらずに動けるでしょうか。
本物を使って向き合わない限り、どれだけ激しく木刀を使ってもシミュレーションです。
それに相手は理に沿って、合理的に刃物を使うわけではないでしょう。無茶苦茶に振り回してくるのではないでしょうか。
手を掴む設定が多いのはどうしてか
合気道には固い稽古、流れの稽古という考え方があるようです。固い稽古とは、単純にいうとガッチリと手首を握ったところから始めること。
養神館も合気道の中ではガッチリ握る方だと思います。ガッチリ握られてしまったところから、どう動かせるか。それが合気道本来の、呼吸力の稽古になると思います。自分より体格の勝る相手でも動かせる呼吸力は、ガッチリ握られること以外では、なかなか養成できないのではないでしょうか。
でも握られてしまう間合いは、殴られる、あるいは蹴られてしまう距離だということです。
端的に言うなら、護身としては、握られてしまうことは致命的です。
現実の中で、手首を握られるというのは、そのまま連れていかれる。例えばワゴン車に引っ張り込まれることなどを意味します。すぐさま手を振り解いて、逃げるのが最善です。
手を振り解く、手解きの稽古はうちでも行いますが、いきなり引っ張っていかれたら同じように出来るかどうか。私は違うやり方を説明しています。
入会した人の要望にはできる限り応えたいと思うので、いろいろ工夫してはいますが、それでもなぁというのが正直なところです。
後ろからガッチリ締められても脱出できるか?
合気道には後ろから両手を持たれる、肘を掴まれる、襟を引かれる、抱き締められるなどの後ろ技があります。これも前述の手を握られると同じどころか、それ以上に致命的です。背後から持たれるということは、後ろから殴られたり首を締められるのと同じ。刃物なら刺される。
ある体験に来られた女性は、現実に「後ろから抱きつかれて、どうしようもなかった」そうです。
これには、ちょっと気楽に返答できません。
聞くと「後ろ抱き三ヶ条投げ」と同様の状態でした。私はこの動画と同じことを、やりながら説明してみました。
理合としてはこうだけど、抱くという設定でも体格差が大きい相手が本気で締めて来たら、本当に大変。こちらの体格が優っていても、締め方・力の使い方を理解している相手だと危険。動画の中で私は「グエッ」と声が出ていますが、そんな声出したくはありません。だけど本当に締めつけられると、そうなるのです。締められることで、呼吸ができなくなります。
合気道の道場で、なかなかそこまでしないと思いますが、私は自分の道場で説明しているときなのに、されてしまうのです。
完全に締められたら、どうしようもないかもしれません。
だからだと思いますが、養神館の最高師範でもあった寺田精之先生の本では「締められる刹那に当身」となっています。背中で当身するのですが、簡単に習得できるものではないと思います。動画の中で説明している通りです。
以前ネット上で、他流の女性有段者が「後ろ技をやっていると、後ろから襲われても対応できる」と言っていて、本当に驚きました。そんなの妄想です。現実の世界では前から回り込んだりしないでしょうし、相手は簡単に拘束できると感じているから襲ってくるのでしょう。
それは体格差があるか、武器を持っているか、とにかく道場の安全な環境とはまったく違う状況で襲われるはずです。
どうしてそんな自信があるのか不思議です。指導者が勘違いさせているのでしょうか。
もちろん締めつけずに、ただ抱いて動けないように拘束されているだけの状態なら、脱出する方法は色々あります。脱力して下にヌルッと抜ける方法もあります。でも、足元の下に落ちてそのあとどうするのでしょう。
相手は襲ってきてるのですから、足元で小さくなればやりたい放題です。
本当の危機に際しての、護身術が型通りにいくわけがありません。
この動画では出していませんが、私は相手の内腿をツネります。当然ツネるなら睾丸ですし、それどころか握り潰す方がいいでしょう。稽古では触るような気持ち悪いことしたくないので、私は内腿にしています(笑)
だけど身の危険があれば、話は別です。
稽古の設定だけの、理合だけの技術は簡単に潰されます。
じゃあどういう稽古をすればいい?
合気道はあくまで型稽古。型稽古とは、受がこういう攻撃をすると決まっています。だから老若男女が安全に稽古できます。連続して何かしてくる設定は、ほとんどありません。
現実の身の危険に対して、最も有効なのは現実に近い訓練をすることだろうと思います。やはり本気で「やっつけたい」と思うなら、現実に近いことをして、まず精神状態がどうなるかを知らないと。そしてその精神状態に慣れて、そこそこ平気になっていかないと動けなくなるんじゃないでしょうか。
だから「やっつけたい」という人には、総合格闘技のジムなどに行って、取っ組み合い殴り合いをした方がいいですよと言います。
それで継続できるなら、きっとその方がいい。私は「やっつけたい」とも思いませんし、とてもじゃないけどできません。
私はかつて、硬式空手というのをしていました。硬式空手というのは、スーパーセーフや胴を着けて実際に殴ったり蹴ったりするのですが、この防具を着けての組手は、素手の約束組手とはまったく異なります。
約束組手と言ってもさまざまですが、合気道の型稽古は、1本組手に近いです。1本組手とは、例えば相手が突いてくる。それを受けて突き返すというものです。
防具を着けての組手は、受けて突き返すなんていう手順を踏みません。
もちろん技術もありますが、いきなりテンションを上げてアグレッシブにガンガンできる人。やはり体格に勝る人が強いのです。身長が高ければリーチがあるので、圧倒的に有利です。
だから、そもそも強い人が強い。
防具を着けていてもかなり怖いし、緊張しますが、これが現実に近いかというと、どうでしょうか。
実際に後ろから組みつかれたり、刃物で襲ってくる人に対してどうするかとなると、現実的に対応している道場やジムはあるんでしょうか。
あるとは思いますが、実際にはそれほど激しくはないと聞きます。それはまあ激しくしていたら、怪我人続出で成り立ちませんよね。現実に近づけた稽古をすればするほど、怪我をするなどのリスクが増大するのは当然です。
それだけ激しく、リスクも大きい稽古を何年続けられるでしょう。
10代20代ならともかく、中高年になってもできるでしょうか。
スポーツの世界でもどこまでやるかを決めておく
日本でスポーツドクターの制度そのものを作られた先生がおっしゃっていたのですが、最初にどこまでやるかを決めておくことが必要だと。
ある講習会でのお話でした。
スポーツドクターは故障や怪我をしている選手が、どうやったら競技を続けられるかを考える。続けるといっても、後遺症が残るレベルもあればさまざま。それでも続けるのかどうか、最初に決めておかないと何も決められないと。
その講習会は、たぶん部活の先生がほとんどだったと思うのですが、例えば高校野球でも、甲子園に出場できる学校は少数でしょうし、フル出場できる選手となると、さらに少数でしょう。
出場する選手たちは、さまざまな犠牲を払っているはずですが、さらにその後ろには故障したりして消えていった選手が大勢いるはずです。
最近もエースピッチャーに連投させるのかどうかの是非が話題になっていましたが、連投、しかも真夏にそんなことをしていれば重大なダメージを負う可能性だってあるはずです。
実戦的な護身術で道具を使ったりしてガチガチにやれば、それよりも簡単に、短時間で重大なダメージになりそうです。
しかも体格差のある相手となると、どうでしょうか。
柔道の階級は10kg未満の刻み。調べてみるとK-1ではクルーザー級やヘビー級になると20kg以上ですが、それより下の階級は3kg未満の刻みのようです。興行的な要素もあるかもしれませんが、大きな体重差は公平ではない。安全面での懸念があるということかと思います。
護身ではどうでしょうか。
体格差があるから襲ってくる。なければ刃物等を用意してくる。
これに対応できますよとは、とても私は言えません。
合気道は投げたりする以前に受け身
精晟会渋谷の合気道の体験では、技をやってもらう以前に、簡単な前倒受け身や後方転倒受け身を少しだけやってもいます。投げるだけではなく、受けることもしてもらうのに、最低限の転び方を理解していないと、どれだけゆっくりやっても危険だからです。
そしてその状態を見て、何を稽古してもらうかを選択します。
その二つの受け身をやってもらうと、「こういうことをしないと、合気道は稽古できないんですね」という反応があったりします。たぶん足が上がらなかったりして、筋力的に大変なのでしょう。
最初から受け身ができる必要はありません。だんだん習得できればいいのですが、後方転倒受け身は「勢いのついた足上げ腹筋」みたいなものです。
それでお尻が上がらないというのは、腹筋がないからです。なくてもいいのですが、ない人でも後方転倒受け身など続けていれば、それなりに体幹が強くなってきます。それほどしんどいことではないと思いますが、それがイヤなら永遠に自分が投げるだけの合気道しかできません。
さすがにうちは、そんなに接待みたいな稽古をしません。
受け身ができなければ、怪我をする可能性が高いので、相手は投げることができません。相手の稽古にはなりません。合気道は仕手受を交互に行い、お互いに稽古するものです。
後方転倒受け身は、日常生活では、例えば雪の日に転んで怪我しないかどうか。ですから、最低限の身を護るすべ。そこができないと、稽古だ護身だどころの話にはなりません。何にも始まりません。
合気道は力を使わないと言っても、姿勢の力は使うのです。動きながらでも、その姿勢が崩れない。維持するだけの筋肉は使います。当たり前ですけど。
維持できた上での脱力です。
私がどうこう言うより、こちらはどうでしょう。古い月刊秘伝に「孫から見た開祖と本部道場」というインタビューがありました。
合気会発足当時について語られています。登場するのは、高棟玲子さん。秘伝では戦後初の女性合気道家で、元祖合気道女子となっています。
元祖合気道女子が語る受け身と護身
高棟玲子さんは、植芝盛平先生のお姉さんの息子の娘だそうです。どういう経緯かわかりませんが、テレビ番組「モヤモヤさまぁ〜ず」に出演されたそうです。
引用するのは、そのときの話。歩いていたところ、後ろから車に追突されて、意識不明になったそうです。
髙棟)覚えているのはパーンと舞い上がって「こんな風に蝶のように飛ぶのか」ってことで。
ーー大丈夫だったんですか?
髙棟)そりゃ大丈夫じゃないですよ(笑)。意識不明でしたし、頭を打ったんだからCTスキャンを撮って八日間は絶対安静で。だけどフロントガラスに頭を突っ込んで地面に叩きつけられたのに骨が折れてなくて。だから退院するときに医者に驚かれましたよ。「よく生きていたなぁ」って。
ーーそれは凄いですね。
髙棟)だからその時に無意識のうちに受け身を取っていたんだと思いますよ。受け身っていうのは「受けて立つ」ではなくて、脱力なんですよ。脱力してスーッと相手の力に乗ってあげる。自然体ね。
ーーでは合気道で学んだ脱力で命が助かったという感じですか?
髙棟)命が助かったというか、 それを含めて、この間(モヤさまで)言いたかったのは、ある程度歳がいって、「護身のために武道でもやろうかしら」というのではなくて、女の子でも、男の子でも、小さい時から誰かに守って貰うのではなく、人間に動物の本能として備わっている“危険を避ける” 能力があって、合気道というのはその根本の部分を育てるものですよ。
夜道を歩くにしても、ただ歩くのではなく、暗がりに近付かないとか、後ろから近付いてくる足音がしたら、その音から距離を測って、咄嗟の時には体をかわせる距離感とか。そういう感覚が自然に身に付いているのが護身だということをこの間話したんですよ。その辺りの経緯をちゃんと放送しないから、突然そんなことを喋っているみたいで訳が分からないじゃない。私の場合はそういうものが車にぶつかった時に合気道の受け身として何十年経っていても身に付いていて、出たんじゃないかと思っているわけですよ。自分ではね。
「人間に動物の本能として備わっている”危険を避ける”能力があって、合気道というのはその根本の部分を育てるものですよ」、いいフレーズですね。
道場でやっている技そのものが、こういう場面の護身に役立つということではなく、「危険を避ける能力の根本を育てるのが合気道」には大賛成。そうありたいです。
実際のところは、動物の本能ほどの”危険を避ける”能力を得ようとしたら、大変なことだと思います。少なくともスマホ見ながら歩いてるのとは、とんでもなく距離がありすぎます。
高棟玲子さんが具体的な技ではなく、生活の中での護身をおっしゃっているのも、とても共感します。
避けること逃げることから考える
やっつけるのは無理。じゃあトラブルを避けるには、どうすればいいか。遭遇してしまったら、どうすればいいかを、なんとなく考えておく。
もしかすると考えるというより、感じておくというのが近いかもしれません。
合気道が護身に役立つとしたら、何より自然体であること。例えば技の中で力むのがダメなのは、呼吸力を発揮できないから呼吸力が通らないから。だけではなく、相手の状態を感じ取ることができないから。
日常生活で力む場面を減らしていけば、なんとなく周囲の状況を感じ取れるかもしれません。危険を察知しやすくなると思います。
やっつけるのは無理だと考えれば、避ける方に意識が向くはずです。避けられない場所にできるだけ行かないことで、リスクは減らせると思います。
もちろんどうやったって、どこにだってリスクはあります。
要はリスクをどう減らすか。危険な目に遭遇する確率を下げるということが重要なんだと思います。
コロナ対策と同じで、言われている対策を全部やっても感染リスクはゼロじゃない。
家にひとりで引きこもって、食べるものなど買い物は全部デリバリーにして、しかも配達する人と直接会わないようにすれば、感染リスクは限りなくゼロに近づくでしょう。でも反面、お金や心身の健康面のリスクは増大する。
それと同じことではないでしょうか。
生きて動いている以上、危険に遭遇するリスクはある。そのリスクをいかに減らしていくか。
その発想なら、合気道は役立つかもしれません。
避けた後は、どうするのか。もちろん逃げます。
仮に、ストーカーにつけられている。本当に怖い。だけど靴は高いヒールを履いていたい。何かあっても走れない。という場合は、踏みとどまって戦うしかないですね。
合気道は止まらないこと。多人数取りでは、動き続けることが基本です。
武器ではないものを武器として使う
精晟会渋谷では、毎回剣杖を使った稽古をしています。コロナ禍の対応としてリスクを低減するために始めたのですが、体術に役立つところが多く、メリットは大きいと考えて続けています。
でも実際に木刀や杖そのものが、護身に役立つとは考えていません。いつも持ち歩いているわけではないので、あくまで稽古用です。
しかし木刀や杖を使うことで、傘やほうき、クイックルワイパーなどを護身に役立てることはできると考えています。合気道の技にリュックやバッグを利用することで、護身に役立てることはできると、たまに稽古しています。
この動画に出していることも、あくまで道場内のシミュレーション。現実の役に立つかどうかは分かりませんが、やってみないと何にも分からないんです。
頭の中で考えているだけでは、何にも分かりません。
私自身は、自分がやっていること稽古してもらっていることが、なんにも現実の役に立たないなんて耐えられないのです。だからできそうなことから、試してもらっています。
やっつけるのは無理でも、何も稽古しなければ、できないままです。現状で何ができるのか、自分の能力はどの程度のものなのか。それを、どれだけ伸ばせるか。
比較する対象、さまざまな性格や体格の相手がいることで、それなりの客観性を得ることはできると思っています。
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