稽古の最中、黒帯の人が白帯の相手に「でも細かいこと考えてたら出来ないんだよね」と言ってました。
私は「そうなんだよね。だから、まず動画見てイメージできるようにしてって言ってるのは、そういうこと」と口を挟みました。
私はたぶん普通の道場より、はるかに細かいことを説明していると思います。同じ技でも、毎回違う視点から。それは覚える手掛かりだし、修正していくときの理合や原則やコツ。同じ技で、自分が同じように動いているつもりでも、相手が変わればいろんな角度が変化してしまう。
ある段階からは、そんな説明が邪魔をするかもしれない。
でも話は、白帯の段階。
後々のことよりも、まずは動きをイメージできなければ、技の動きなんてできないんです。
だから初心者は、何より動画を見てと言います。
うちでは初段までの審査技・指定技は、ほぼすべてYouTubeにアップしています。
つくづく『燃えよドラゴン』の冒頭のセリフなんだよなと思いました。
Don't think. feeeel! に続くことば
『燃えよドラゴン』を観たことない人でも、Don't think. feeeel!のセリフはご存知でしょう?
半世紀も前の映画なのに、いまだにDon't think. feeeel!は使われたりしますね。
映画では考える弟子の頭を、ブルース・リーがバシっと叩きながらこのセリフを喋っているのが印象的です。
いや、それだけではなくEnter the Dragonのタイトルが出てくるまでの冒頭の数分間。長いイントロダクションの中でブルース・リーの語るセリフは、名言だらけなんです。
Don't think. feeeel!の後には、こんなセリフが続きます。
It's like a finger pointing away to the moon.
Don't concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.
このセリフは、禅の「指月の喩え」の教えだと言われています。
指月の喩えだと踏まえて意訳すると、こんなことでしょうか。
「月を見て欲しくて指差しているのに、どうして指ばかり見ているのか」
単純化するなら、月を見るのが目的で、指す指は伝えるための手段。
指は手段なのだから、指し示すならレーザーポインターでもいい。角度と距離を示す数字でもいい。顎でクイッとやるのでもいい。
それなのに人は、とかく指に固執してしまいがち。
伝えるための言葉に固執してしまうと、本質からどんどん離れてしまう。
月に相当するものを何にするか?
ね、いい話でしょ。深いでしょ、で終わらせるのが、今回の趣旨ではありません。
「指月の喩え」を合気道に当てはめるとどうなるでしょうか。
何が目的で、手段を何に設定するのかで、まったく様相が変わってしまいます。
「月 : 技の動作ができること」に設定するなら、
「指:動きのイメージを焼き付ける」になるかと思います。
いわば初心者のための設定です。
「月 : 技を効かせること」なら、
「指:理合やコツを理解し多くの人と繰り返し稽古する」になるかと思います。
いわば中級者のための設定です。
「月 : 何が来ても対処できる」になると、
指は何になるでしょうか?
もしかすると型稽古を夢中でやっていたことのほとんどが、邪魔になるかもしれません。設定に固執していると、何が来てもどころか、ちょっと変えられただけで対処できなくなります。
相半身逆半身、持ち方、打ち方、間合いはどれも大事ですが、それは流派や団体や道場のお約束です。
なら「指:手段」をどうするのかと聞かれると、ちょっと困ってしまいます。
この動画にしていることだって、ほんの少しだけの型設定破りです。
さらにその次の段階は、あらゆる技を覚えて、なおかつ技に固執せず、自動生成できる状態かもしれません。たぶん植芝盛平先生がおっしゃった「技は覚えて忘れろ」「武産合気」とは、こういうことを指しているのだと思います。
いや、きっと武産合気は植芝盛平先生の目的じゃないんです。
植芝盛平先生の月:目的は、きっと「愛」とか「世界平和」。愛が目的だから対立しない。そして指:手段が「合気道」あるいは「武産合気」なんじゃないかと思います。
それぐらい大きな目的じゃないと、修行にはならないのかもしれません。
私たち凡人にはとても難しいです。
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