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柔道で合気が使われないのはナゼ?


指取り

先日、稽古の後、昇級昇段審査お疲れさまでしたの飲み会をしました。


そこで前に座った人から、こんなことを聞かれました。

合気道の力の使い方が有効なら、どうして柔道の試合で、そんな技術が使われないのですかと。

ああー、ね(笑)


知らない人からそんな風に聞かれたら、バカにされてるなと感じたかもしれない内容です。だけど、この人はそういうことで聞いているのではありません。

筋トレをガンガンしているし、毎週のように各地で登山をしているので、とんでもないパワーで体幹もおそろしく強いのです。


稽古のときにも、けっこう挑戦されています。「動かないようにしていいですか?」と聞かれ、いいよと握らせると手が痺れてしまうほどです(笑)

その度になんとかしているので、それなりに合気道の力の使い方、身体の使い方に納得しているのだと思います。

でも、疑問はある。なんか騙されてるかもしれないと(笑)



私は、こう答えました。

おひとりだけ歴史上、柔道の試合で合気道の技術を使ったと言える人がいる。鬼の木村政彦に、合気道のおかげで勝ったと言われている人がいるよと。




「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本


木村政彦は、その後、プロ柔道に転向。逸話としてはブラジルでヒクソンやホイスの実の父で、グレイシー柔術を創始したエリオ・グレイシーと戦う。一本勝ちやポイントはなく、タップか絞め落ちることで決着するというルール。

木村は大外刈りから腕がらみで、エリオの腕を折り、勝利した。もっともエリオは骨折したままタップせず、兄のカーロスが飛び込んで試合を止めたということだそうです。ちなみに、この試合が由来で、腕がらみが「キムラロック」と呼ばれるようになったといいます。



「木村政彦は拓殖大学で、塩田剛三の二年後輩。その後輩が大山倍達」 そして「塩田剛三は木村政彦と腕相撲を3度して、2度勝った」という話が出てくる本があります。


増田俊也さんの、2012年度大宅賞受賞のベストセラーノンフィクションです。


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 表紙

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」には、コミック化した「KIMURA」もあります。



何巻目だったか忘れましたが、植芝盛平先生が登場されます。

木村政彦に勝ったのは、阿部謙四郎。柔道の試合に向かう夜汽車の中で、向かいに座る老人がずっと見ているのに気がつき、なんだと尋ねると、あんたを知っていると言う。老人は植芝盛平だと名乗るけれども、知らないし興味もない。自分は柔道で有名だから知っているんだろうと眠ろうとすると、老人は小指を突き出し「折ってみろ」と言う。


握った途端に、床に組み伏せられ、弟子入りを願い出る。

ざっと、そんな流れです。




小指一本で這いつくばらせることはできるのか?


私はAmazonで扱われている「KIMURA」とはちがう、もっと厚い編集版を買いました。しかも、とっくにブックオフに売ってしまったので、どこに描かれていたのかは定かではありません。

今考えると、おしいことをしたと思いますが、これは本当にドキュメンタリーなのかと思えるほど、超絶な面白さです。これなに、刃牙のプレストーリーかよと。


なんせ木村政彦本なのに、塩田剛三、大山倍達が大学で先輩後輩で絡むのです。それだけじゃなく、植芝盛平先生まで登場されるのです。

植芝盛平先生が小指を突き出して「折ってみろ」とおっしゃるシーンは、文章だけだといまいち状況が分かりません。でも絵になると、とても衝撃的です。


KIMURA 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 表紙

KIMURA vol.4」Amazon

※アマゾンの解説からすると、木村政彦 vs 阿部謙四郎の試合はこのvol.4です。Kindle版はUnlimited 会員になると読み放題みたいです。



この日もですが、実はこのところ、精晟会渋谷の稽古では、人差し指一本で投げるというのをやっています。

なぜ始めたかというと、両手持ち天地投げ(一)で天の手の肘が外へ出て、脇が開いてしまう人が多かったのです。どうしたものかと考えていて、もしかしたら一本指でやったらいいかもしれない。骨格的に強く無理のない動きにならないと、そして力まず動かないと指を痛めてしまう。そう考えて、やってもらっています。


ただ注意事項としては、受はすなおにしっかり持つ。そしてあえて抵抗せず、相手の動きに無理がなければ、動いてあげる。一本の指を握るのは、本来は指取りで痛めつけるような用法。そういうことじゃないからねと念押しして。


私は人差し指一本で、呼吸投げを稽古しています。問題なさそうなので、茶帯黒帯の人たちに「やってみる?」と聞いていますが、今のところ誰もやってくれません。



まあ、躊躇して当たり前です。

それを開祖は小指で、しかも「折ってみろ」ですから、超絶です。技法がどうこうより、なにより恐怖です。もっとも、それにどんな意味があるのかは分かりませんが(笑)




鬼の木村政彦の柔道に合気道て勝った?


ともあれ、阿部謙四郎先生は、その出来事で植芝盛平先生に入門します。入門当時、柔道の段位は不明ですが、天才と言われていたようです。Wikiによれば、柔道8段、合気道6段、剣道6段だそうです。


それでもたぶん、柔道がメインだったのでしょう。

木村政彦と対戦します。そのときの様子は、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者、

増田俊也さんが動画にされています。


木村政彦氏本人は、なにもさせてもらえなかった。

その師・牛島辰熊氏は「木村は東京へ来てから、誰にもほんとには負けたことはなかったですけど、ただいっぺん武専の阿部と試合したときだけはですね、阿部に完全にあつかわれて投げられたとです」とおっしゃったそうです。

あつかわれたとは、九州弁で、あしらわれた的な意味らしいです。



さらには、こんな話もあります。

牛島辰熊氏は植芝盛平先生の演武を見て「私の一番強い弟子と立ち会ってもらえるか」と聞き、開祖が承諾。拓殖大学の学生だった木村政彦氏を呼びに行かせたのを、親友である塩田剛三先生が止めたというのです。

増田俊也さんはこの話を、板垣恵介さんから聞いた。板垣恵介さんは、塩田剛三先生から聞いた。

だから嘘や誇張ではないと、おっしゃっています。


うーん、そのルートだと、嘘ではないけれども誇張はあるかもね、という気がしなくもないです。



ともあれ、阿部謙四郎先生は鬼の木村に勝った。木村政彦氏が何をしても、ふわふわと手応えがなかったということですから、合気道の力の使い方を使ったのは間違いないでしょう。




しかし合気道で勝ったと言えるのか?


描写からは合気道を学んでいたから勝ったと言えると思いますが、合気道で勝ったとは、とても言えなさそうです。阿部謙四郎先生は、柔道の世界で天才と言われていたのですから、合気道を学ばなくても、とんでもなく強かったはずです。


時系列を追ってみるとWikipediaにしかありませんでしたが、植芝盛平先生と夜汽車で出会い、入門されたのは京都の大日本武徳会武道専門学校(武専)時代とあります。

京都に移り住んだのは1934年とあるので、武専入学は早くても1934年。

木村政彦に勝った試合は、1936年ということなので、それまでに合気道修行は最長でも2年になります。


植芝盛平先生と出会ったときもそうですが、柔道の試合で各地を転戦し、天才と呼ばれていたのですから、1年未満の可能性だってあります。

柔道は旧制中学3年のときからということなので、合気道の影響は、まだそれほどないかもしれません。あくまで、ふわふわと手応えがなく、何もさせてもらえなかった、であり、合気道の技で勝利したのではありません。


分かりやすいかどうか、パソコンやスマホに例えるならハードウェアとOSはほぼ柔道。アプリに多少合気道が乗っている程度かもしれません。

どんな武道でも毎日のように何年もやっていれば、肉体というハードウェアもベースになる動きであるOSも変わっていきます。武道によって体型の傾向が異なることからも、明らかだと思います。もちろん合気道だって、重みが下とする流派と、胸を張る流派とでは、先生方を見れば傾向は明らかに違います。



柔道には、付け加えれば相撲にだって「押さば引け、引かば押せ」が極意としてありますが、もしかするとほぼ前後の動きかもしれません。あくまで想像ですが、それが合気道的な剣の「千鳥に捌く」に変化するだけで、剛の柔道からすれば「手応えがない」と感じるかもしれません。

いやこれだって、戦前の剣道をやられていたのですから、元からお持ちだったかもしれません。


じゃあ「ふわふわと」という描写は、どうでしょう。

合気道的に、力まず動かれていたのでしょうか。




試合で力を抜けるのは天才だけ


柔道の試合では関節技も当身も禁止ですから、しっかり掴まれてしまうこと自体、とても不利になります。だから、激しい組手争いが起こるのだと思います。


対して合気道では、誘うとか持たせるといいます。ここに大きな誤解があると思うのですが、それはあくまで稽古上の方法だと思います。こう持たせると有利だから、なんて言えるのは試合ではないから。試合で手を出して、相手が思った通りに掴んでくれるはずがありません。


私は「持たせ方に種も仕掛けもある」と言いますが、どこの合気道でも、技を掛けやすい持たせ方なのです。


試合で組み手争いをしているときに、力を抜けるでしょうか。


よくポピュラーな柔道の組み手のカタチから、合気道の技でどう崩すか、みたいな動画がありますが、それはあくまで変化しないというお約束。変化しないのなら、それは「理論上できる」ということだけです。試合していて変化しないなんて、あるわけがありません。


力を抜いた瞬間に投げられてしまうと考えるのが、普通でしょう。というか、天才的に度胸があるか負けてもいいと思わなければ、力を抜くなんてことできないはずです。

阿部謙四郎先生は、その試合以前から天才と呼ばれていたぐらいなので、そんなこともできたのかもしれません。




合気道の稽古でやっているのは理想


だから飲み会で聞かれた質問には、理屈では有効だと思うけど、試合で合気道の力の使い方や動き方をやれるのは天才だけ。天才は歴史上でも、ほとんどいないと思うと答えました。

合気道の人が、柔道の組み手はこうやって投げろみたいな動画を作ってるけど、やってるのは体格の勝ってる人達しか見かけない。そもそも体重で圧倒してるし、柔道の試合なら同じ階級にならないから参考にもならないと喋りました。



よく型武道の人が、試合のある武道をルールがあるのだから「武術じゃない」と言ったりします。

確かに理屈ではそうなりますが、武術の意味が「なんでもありの殺し合い」なら、頻繁に試合をガチガチやっている人たちの方が圧倒的に強いでしょう。スピードだって体力だって精神力だって駆け引きだって、比べ物にならないはずです。


技で勝つというのは現実的でしょうか。

先に使った例に当てはめていうなら、ハードウェアもOSも劣っているのに、アプリが秀でるなんてことあるでしょうか。



そんなことを承知した上でなら、合気道は理想でいいのだと思います。

ハードウェアは毎年アップグレードされています。性能は毎年、向上します。お金さえ出せば、手に入れることができます。でも肉体は、どれだけ鍛えたところで、やがてピークを迎えます。選手なら、多くは30代半ばで引退が視野に入ってくるでしょう。


それはまずサルコペニアという現象。

25歳から30歳ごろから老化現象として、自然な筋肉量の減少が始まり、生涯に渡って減り続けます。

神経系も変化します。反射神経は24歳ごろをピークに、ゆっくりと遅くなるそうです。

だからハードウェアをアップグレードするどころか、ダウングレードになってしまうし、故障も発生する。


それに抗うこともできますが、アスリート向けは一大産業のようです。

いまの方法論が知りたければ、「アスリートは歳を取るほど強くなる -パフォーマンスのピークに関する最新科学」という本がいいかと思います。



でも合気道の場合は、無理な動きをしない、不要な力を使わないがOSの基本思想。

最初から理想を追求しているので、肉体的なピークにはそれほど影響されないのかもしれません。合気道の世界には、そのサンプルが大勢いらっしゃると思います。









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