養神館合気道 渋谷合気道会の会員に、
いろいろ聞いてみました。
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将来的に海外で道場を出せたらと
弍段・合気道歴9年・男性・40代
いつ養神館の本部道場に入ったんですか?
2003年ですかね。6年ぐらいやりました。
どうして養神館を選んだんですか?
それはもう塩田剛三先生の演武の映像を見て
それまでは?
ボクシングとか柔道とかやったりしてたんですけど、色々本とか読んだりして、武術的な体系を学びたいなと。それで合気道とか剣術方面に興味を持ったんです。
武術的な体系を求めて養神館本部に入って、その欲求は満たされましたか?
フィジカルを鍛えてなんとかしようというより、やっぱり身体の使い方が主なので、これだったら続けられると思いましたね。
え、フィジカルを鍛えるのはイヤだった?
鍛えるんだったら別のことがいいなと。元々はバスケットボールやスキーをやってたんですけど、限界があるじゃないですか。
30歳代になると飛べなくなるし走れなくなったとか、そういうのを感じるし怪我もするし。バスケは社会人になってからも、会社の同好会で続けてたんです。
あー、そういう意味でね。え、じゃあ武術的なものに興味を持ったのは?
それはもう高校生のときですね。中学生のときに「空手バカ一代」とか読み出して、打撃系やりたいとか。ずーっと機会がなかったので、球技とかやってたんです。道場はあったけど、なかなか踏み出しづらかった(笑)
私は中学生のときに植芝吉祥丸先生の「合気道」って本をなぜだか買って、合気道やりたい!と思ったんだけど、合気道の道場なんてなくて、代わりに空手を習い出して(笑)
それで養神館に入ったのは、29歳ぐらいのときですかね。もうやらないと、そろそろ間に合わないって(笑)
ああ、年齢的な節目でね(笑) 29だとちょっと早いけど、スポーツや格闘技やってる人って、30代半ばで限界感じるみたいね。
入門してからは、朝行ったりして週に4日ぐらい稽古してました。
週4日! 何、そのころ仕事してなかった?
サボってたとか(笑)
いやいや当時は夜勤とかもしてたので、朝行ったり夜行ったりってことが出来たんです。朝のクラスに行くと、ALSOKや国際専修生の人たちが稽古してたりとか、環境がヤバくて、けっこうガチでした。
当時の養神館本部道場の先生方は、塩田剛三先生の直弟子の先生ばかり? 教えられたのは?
千田先生、千野先生、小山田先生、園田先生、若手だと高島先生、村田先生、現道場長の乗木先生。
安藤先生はもう龍を立ち上げられてたので、そんなに来られてなかったですけど。
へー、井上強一先生が館長の時代ですね。豪華ですね。
でもそれで初段を取って、やめちゃったと(笑)
いやいや初段を取っても続けてたんですけど、転勤になっちゃった。
ああ、それがニューヨークへの転勤。
向こうでは、やらなかったんですか?
探したんですけど養神館の道場がなくて、合気会系の道場に入ったんです。
や、たまーに来日して出稽古に来る〇〇さんいるじゃない。あの人はニューヨークで精晟会の同好会やってるのよ。
NYとは言いにくい遠い場所らしいけど(笑)
入ったけど、忙しかったのもあるんですけど、あんまり行かなくて、1年ぐらいでやめちゃったんです。
その道場は技を最後までやらなくて、養神館みたいに極めたりしないんです。体捌きとか勉強になることは多かったんですけど、これだと何が効いてるのか分からないなぁと思ったんです。
へー、そうなんだ。それで帰国してからは?
もう仕事が忙しくて、武道どころじゃなかったです。なんか、熱が冷めちゃったんですかね。それがまた探し出したのはコロナになって、仕事が暇になったというのは間違いなくあります。
それでもここ(精晟会渋谷)で始める前も、あんまりやる!って感じじゃなかったんですよね。
それで、うちの何が良かったんですか?
武器をかなり本格的に稽古できるところですね。合気道は剣の理合を徒手に置き換えたものと言われますけど、実際に振らないと分からないでしょう。振るだけじゃなく、剣対杖とか用法を教えてもらえるから、理解が進みます。
それに瀬川先生は、徒手の技も細かくやっていただけるじゃないですか(笑) 割と手取り足取りというか。
外野A)へー、他を知らないけど(笑) 手取り足取りなんですか?
本部では、先生が手本を見せて、掛かり稽古とかワーっとやって、また先生がその応用技を見せて、掛かり稽古とかをみんなでやるって感じですかね。
みんなでひたすら技やって、数こなして憶えていく。人数が多いですからね。この繰り返しで、習得する技も増えていきます。
昇段審査のときは、何ヶ月も前に相手決めて、早く来てペアで稽古しとく。昇段のときは覚えましたよ、必要な150本。
普通、そんな個別に教えないよね。一人ひとりに合わせると、けっこう手取り足取りでやるしかないでしょ。
説明は、理解してる?
外野A)そりゃあ理解してますよ。理解してるけど、その通りに動けない(笑)
外野AB)へー、凄い。
だいたいどんな武道の道場でもね、個別に上達させようとなんてしないのよ。手助けはちょっとするけど、繰り返し稽古して憶えて、繰り返して自分で掴めってスタンスだから。もともと武道はね。
身体づくりは、まずひたすら繰り返しの稽古。だけど今どき、それだけで上達する人なんて、どこの道場でもごくごく一部の人だけだと思うのよ。
それでじゃあ今の目標は、道場を出すことなの?
だいたい武道を長く続けてる人は、それがモチベーションなんじゃないですか?
私は、ぜんぜんそんなことなかったよ。考えてもいなかった。第一道場出すなんて、そんなこと許されると思ってもなかったし。
先生に言われてから、考え始めた感じで。(経緯はこちら)
でも、それまでも教えてたでしょ?
いやぁ、稽古の中では普通に説明はしてたけど、特に指名されて教えるということは…、先生が海外に行かれてるときには、あったりしたけど。でも指導者資格持ってるのは数人いたし、道場出してる人も複数いたしね。
あ、指名されて教えるのは千津子先生からはあった。松尾正純先生の奥さん(女性最高位の八段・精晟会あざみ野支部代表)ね。千津子先生が教えられてる女子大の合気道部の子たちが、演武大会とか審査とかの前になると出稽古に来るんだけど、なぜか私に指導してくれってなってた。
その経験で、私、教えるの上手だよなって思うようになったんだけど(笑) その人その人にあわせて、教え方を変えられるなって。
このところ森師範(豪州ブリスベン)の動画をよく見てるんですけど、海外に出せたらいいなと思いますね。だけど森師範のようにやるなら、185cm95kgぐらいの外国人に効かせられる合気がなきゃ無理。それが出来るんだったら、やりたいなぁと思いますね。
海外の方が、合気道に対して積極的ですよね。
凄いな、その目標。森師範みたいにできたら、そりゃあもう、べらぼうに凄い。オーストラリアで一から開拓して道場をあそこまでにするなんて、合気道の実力はもちろんだけど、それ以外の能力だってめちゃくちゃ必要よね。
だけど、そんな目標いいじゃないですか。自分より小柄な人に効かせるのなんて簡単だからね。自分より大きな人を動かしてこその、合気道だし武道だし。
インスタで投稿数見ると、もしかしたら日本で合気道やってる人たちは、植芝盛平先生の名前は知ってるけど、よく知らないみたいな感じが大勢になってるのかなと思う。
ダントツに知られていて反応されるのは、塩田剛三先生。私らは養神館だからそれでいいかとも思うけど、でもちょっとなぁ。とにかく日本だと道場村のことは詳しい。だけど外のことは、まったく知らないみたいなね。その点海外の人たちは、詳しいし貪欲だわ。
日本だと渋川剛気のモデルって言えば、たいがい分かりますしね(笑)
板垣さんの、マンガのおかげでね(笑)
それで海外に道場出したいっていうのは、何か具体的に計画してるの?
とりあえず指導者資格は、とっとと取らないとだよね。本部で講習受けて。確か海外で審査するには、海外指導者資格検定があるはずなんだよね。
だけど、海外で暮らすのは抵抗ないの。元々海外志向があるとか。
ああ、仕事で行ってましたからね、特に抵抗は。
2003年にイラク取材に行ったんですよ。カタール、クウェートなど中東に滞在してました。
え、2003年!? イラク戦争?
当時、よく外国人が誘拐されてたじゃないですか、日本人も。首斬られる様子がYouTubeで流されたりとか。
メディア関係者は誘拐されてないでしょ?
んー、海外メディアはあったんじゃないかな。
とにかくNGOとか一般人とか、あんまり区別なく誘拐されてる感じだったんです。やっぱりもし自分が誘拐されたら、どうするとか考えますよね。新渡戸稲造の『武士道』を読み出したりして。
格闘技も好きだったんですけど、武術を体系的に学びたいとなったのは、そういうところなんですよね。捕まらないようにしたいし、自分が捕まったときに、テロリストとどう対話するんだとかね。
へー、凄い背景.。技術でどうこうみたいなこと以前に、心構えとか精神的な支柱ってことですね。
外野AB)最後にいい話が出た!
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